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》類は友を呼んで狼は群れを作る:映画『JAZZ LOFT』鑑賞記

2023.10.12

フォトグラファーのユージン・スミスさんが棲家として開いたニューヨーク6番街のロフトには、当時その感性に惹かれ合う人々が集まって朝までセッションを繰り返していた。そんな記録映像をまとめた『JAZZ LOFT』からは彼らのアツい息吹が伝わって来そうで、その時代を感じられます。



以前にコチラでも紹介した映画『MINAMATA』では、最近また控訴の行方が取り沙汰されている水俣病訴訟の元になった企業「チッソ」とのやり取りや、その現場で起こっていたことを写真に収めたユージン・スミスさんの行動が、世界に発信されたからこそ公害として認められて裁判になりました。



でもそんな訴訟はいまだに続いていて、最近になって大阪地裁は救済制度外とされた128人全員の水俣病認定を命じましたが、その後にまたチッソ・国・熊本県全てが控訴を訴えています。ていうか、あれだけの公害起こしたチッソってまだ残ってるんですね。




ジョニー・デップが演じるユージンはそっくりそのまんま




でもそんなユージン・スミスさんのことを特に知ったのはこの作品からでした。




《『JAZZ LOFT』のあらすじ》



写真家ユージン・スミスが1950年代半ばから住んでいたNYのロフトでは、

連日連夜様々なジャズ・ミュージシャンがセッションを繰り広げていた


当時仕事や家庭の問題が山積みだったスミスは、純粋に音楽を楽しむために

集まった彼らの演奏を逃すまいと部屋中に録音用の配線を張り巡らせ、何千枚もの写真を撮る


そのむせ返るような熱気を余すところなく伝えるドキュメンタリー映画

それがこの『ジャズ・ロフト』







【戦場から帰ったものの家庭生活に戻れずたどり着いたロフト】

ユージンは第二次世界大戦中に従軍カメラマンとしてライフ誌などに向け、数多くの戦場の現実を伝える写真を世界に伝えていましたが、沖縄の激戦地において砲弾の爆発に巻き込まれ大怪我を負って帰国。その後、支えてくれた家族のおかげで普段の生活ができるまでに復帰するものの、またフォトグラファーとして創作活動をしていくためには邪魔になるとして家族と別居します。


でもそんな復活の狼煙を上げたのは、彼の子供たちをモデルとしたコチラの作品。




傷の癒えた彼が写真家として復活する元になった作品 The Walk to Paradise Garden(1946)Eugene Smith




その後の活動の中でライフ誌と対立して関係を断ち、ピッツバーグ市政記念の写真集の依頼を受けて3年間に渡って取り続けたものの、作品としてまとめ切れずに「偉大なる失敗作」とまで言われているとか。彼自身も後述しているように、彼の写真はジャーナリズムであると同時にアートでもあり、その妥協のない撮影と現像作業によって精神的にも追い込まれていったことも、家族との別れを助長させたとも言われています。



そしてユージンが家族を残してマンハッタンに引っ越し、ジャズミュージシャンと共に住み始めるのが1957年。


それは花屋の問屋街にあって商業地域のため住居としては使用出来ない5階建てのロフトでしたが、それが幸いして一晩中でも大きな音を出せたため、どんどんジャズミュージシャンが集まるスポットとして知られていきます。特に同居人でピアニストのホール・オーヴァトンは若手のジャズミュージシャンたちにとって先生のような存在で、さらには人気絶頂期のピアニストのセロニアス・モンクとは後にホールでの伝説的な名演を行うためリハーサルなど毎夜ごとに行われていたとか。




ホールとセロニアス Photo by W. Eugene Smith, 1959 © The Heirs of W. Eugene Smith.




ユージンはそんなミュージシャンたちの様子を隠れて撮影したり、ビル中に張り巡らせた配線とマイクによって録音。その膨大な記録がこの映画の元になっていますが、こうして1本の映画になってみると写真だけじゃなくオープンリールの音源までがユージンの創作活動の一部だったように感じます。きっとジャズミュージシャンたちもそんなユージンの感性と響き合って、毎夜のように朝までセッションし続けたのではないでしょうか。



さらには芸術家たちもこのムーブメントを目ざとく見つけて集まり、その中にはサルバトール・ダリの姿まであったというからその場の空気は特別なものだったと思うし、その感覚は映像の中からも感じられます。




被写体に取られていると感じさせない彼のスタイル © 1959 The Heirs of W. Eugene Smith.




結局1965年まで続いたそのロフトでのセッションは、ビルオーナーからの立ち退き訴訟という形で終わりを告げ、その後ロフト・ジャズとも呼ばれたニューヨークジャズのムーブメントに繋がっていきます。ユージンはその後に日本の日立カメラからCMののオファーを受ける際に通訳だったアイリーン・美緒子と知り合い、日本に向かったことが縁となって水俣病で苦しむ患者たちを撮り始めることになるのも、なんとなく時代の移り変わりを感じさせます。



ジャズのライブはその時の空気感や観客のノリによっても大きく変わることから、同じ曲でもTake1とか違うバージョンがありますが、それからするとこのロフトでの演奏はきっと唯一無二のものであり、他では再現できないものだったに違いありません。そうした要因の一つは間違いなくユージンでもあり、そこに集まったオーディエンス全員の賜物だったのではないでしょうか?





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