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おざわやの代表のブログです

お釈迦さまのように最後の時までただ前を向いて歩いていたいと思う

2019.09.16

今日の朝活で教わったのは「あいちトリエンナーレ」の楽しみ方。正直言ってこれまで4回開催されているこのイベントにはほとんど行ったこと無くて、たまたま通りかかって見たことがあるくらい。今日もこの話が聴きたくて、というよりもスケジュール的に問題なかったので行った感じでした。これまでボクにとっては「アート(芸術)=観るもの」で、どうもこのトリエンナーレには興味が持てずにいたんです。





中秋の名月(の一日後)の月の入り。もうすぐ朝活へ向かうとき暗くなるかなあ。




わざわざ早起きして興味の無い話を聴くなんて意味あるの?という人も居るでしょうが、これまでこの朝活でそんなことから新しい意識付けや出会いを貰ったことが多々あります。そうして聴いたお話しは途中やっぱり眠気に襲われつつも、「アート=観るもの」ではなく「アート=感じ、触発されるもの」なのではないかと感じました。そして見方としてまずは自分の部屋に飾るならのトップ3とワースト3などを、視点の一つとして考えてみると入りやすかもとオススメしていただきました。色々な視点から見るともっと感じることも出てくるかもしれませんね。

そうやって考えると話題となった「表現の不自由展」はその作品の伝えたいことを取り上げるんじゃなく「その作品によって触発された結果、表現できなくなった」という事実を展示していたんじゃないかと。賛否両論ある、というのもアートの表現の一つですよね。そんな風に感じたことから少しこのトリエンナーレのアートやパフォーマンスに興味が湧いてきました。

今度観に行ってみようっと!





生活をサボるな!というツイートを見て思ったことは、やっぱり終活なんて止めようよってこと。

先日誰かがリツイートしたこの記事を見て、何か心に引っかかるものがありました。









このツイートのコメント欄に載せてあったブログを読むと、インドを旅していた時にインドのおじさんに「ちゃんと生活しなさい」と説教されたことが書いてありました。でもそれを読んだ時は「いやいや。インドのおじさんは食事も洗濯も掃除もしないだろう笑」と以前行ったインドで見てきた風景を思い出していましたが、重要なことはそこではなくて「もっとしっかりと生きているか?」ということなんだと思いました。そんなことから拡げて思ったのは、やっぱりボクは「終活なんて大反対」だってことです。


もちろんもし自分が死んだあとに子供や家族が困らないように、って心配するのは親なら当たり前です。でもそんな「自分の仕舞い方」に時間を割くよりも、最後の最後まで「自分の生き様」を見せることのほうが、どんな財産を残すよりも大きな宝物になるんじゃないかと思うんです。

それはお墓についてももちろん同じで、今あるものを片付けて何も残さないっていうと「立つ鳥あとを濁さず」的に潔いように感じるかもしれません。でもボク自身が先祖から戴いた命と同じように、お墓や仏壇を預かったことで安心感も貰っていると思っているし、この想いを次に渡していかなくちゃって思っています。で例えば渡した跡をどうしようが任せるよって、そんな風に考えるのは「信頼」であって「投げやり」じゃない。ボクは先祖たちからそうやって信頼してもらえたから、今こうしてお墓まいりも仏壇での供養も任せてもらえてるんだって思っています。といっても手厚い供養をしているなんてとても言えませんが、それも含めて任せてもらってるんだから自分に出来る範囲でやれば良いとも思っています。その結果が「墓仕舞い(はかじまい)」となるなら仕方のないことですが、最近そうではない形が増えているような気がしてなりません。


仏教という道を拓いてくださったお釈迦さまは、お弟子さんのことを「共に修行する仲間(サンガ)」と呼ばれました。それは自分こそが偉いのだとか私以外に真理は覚れないなんて言われず、自分のように修行に勤しめばいずれ覚りを拓けるだろうと言っておられたそうです。自らを含めて宗教者ではなく、仏への道を共に歩く「求道者(ぐどうしゃ)」として捉えておられたと。もちろんボクらのようなぐうたらと生きているものがそんなお弟子さんと比べ物にはならないでしょうが、ずっと遥か前をお釈迦さまが歩いてくださっていると思えばその後を付いて行くだけ。その一つが先祖からいただいたものを次に繋げることだと思うんです。

あれ?なんかちょっと前にこの話書いた気がするけど、大事なことなんで良いですよね。その時書いたのと今日書くのとではまたニュアンス違うと思うし。



そんなことを考えていたら、冒頭のインドのおじさんの「仕事はしてても生活はしていないね」が更に胸に響いたように感じました。流されずにしっかりと目の前のことを受け止めてただ生きること。大事なんじゃないかと思います。