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おざわやの代表のブログです

【「南の島の脱力幸福論」の破壊力について】

2021.09.16

このまま彼らを真似することはできないけれど、フィジーでの暮らしぶりから振り返って今の自分の心の有り様を測ってみるのに良いかもしれないと思った、現代で最も幸せな人たちの生活を紹介した本をご紹介。



今から25年前、ボクの初めての海外旅行がニュージーランドへの新婚旅行!

当時はまだセントレアもなく、現在の県営名古屋空港が国際線の出発地でした。まだ就航していたニュージーランド航空の小さな飛行機に乗り、その経由地として寄ったのがフィジー共和国の空港。秋の深まった日本から春まだ早い頃のニュージーランドへ向かうということで、すっかり冬服で降ろされた待合室。飛行機の給油の間、エアコンも効いていない常夏の中、脇でガタイのいいアロハシャツを着た警備員たちがお喋りしている中、大汗をかいて待っていたのが強烈に記憶に残っている。

ボクに取ってのフィジーの印象はそれが全てでした。


今回、オススメされて読んでみたのはそんなフィジーに魅入られて住み着いた著者が、以来15年間暮らしてきた中で気づいたフィジーの人々の「幸福になるための習慣」を漫画にした『まんが南の島の脱力幸福論』。著者の永崎裕麻さんが移住先を探して世界中を旅する中で、最後に訪れたフィジーで受けた衝撃や気づきを「共有・テキトー・今・つながり」の4つのテーマから実体験と共に書かれています。そして対談ゲストとして同じく学生時代にフィジーに留学して、その世界観から大きな影響を受けたという芸能人のおのののかさんとの対談を挟みつつ、現代日本人に欠けている何かを気づかせてくれる本です。






【「共有」の章を読み始めた最初の印象は…】

何となくイメージでは天国のような島の幸せな人たちがゆったり暮らしてるから幸せなんだろうなあ

と、そんなイメージで読み始めたのですが、まず初めの「共有」の項ですでに面食らいます。

例えばバーでビールを飲んでいると隣のおじちゃんが、著者の飲んでいたビールの瓶を手に取っておじちゃんのグラスに注いでしまいます。酒飲んでる時にそんなことしたらスグ喧嘩になりそうなものですが、彼らは「ケレケレ」といって【お互いのものを共有する】文化があって、全ては【お互いさま】で済ませてしまいます。一緒に住んでいればTシャツも共有。それどころか強盗に入った3人の泥棒が、家主の財布からお金を出して「じゃあ4人で山分けだな」って、家主にも分け前を寄こすって漫才みたいなオチが本当に起こったそうです。


幸せと言っちゃあ、幸せなんだけど…。ですよね?

正直ちょっとイラッと来そうです。



そして著者の近所のおばちゃんが体調悪くて、病院(フィジーは公的病院はタダ)に行くからと付き添ってバス停に行くと、


「そういやお金持ってないねん」とおばちゃん。


仕方ないのでお金を貸してあげて一緒にバスに乗り、病院の最寄りのバス停で降りるとそこに居たホームレスにお金を渡してしまったそうです。するとおばちゃん曰く、「私より大変なあの人にバス賃をあげただけ。私は歩いて帰ればいいから」とフツーに言ったそうです。


そんな優しさも程々にしないと、騙されちゃうんじゃないの?って思いませんか?

ここまで読んで「幸せっていうか、ただ能天気な人たちなの?」って思ってしまう自分もどうなんだろう?なんて、自分の尺度というか常識が揺らいできます。




【「テキトー」の章を読み始めるとますますイラッと…】

靴屋に入って店員に展示品以外のサイズがあるか?と聞くと、「ちょっと待ってて」と言ったきりで結局そのまま家に帰ってしまって閉店時間になったとか。貸したペンが帰ってこなかったり壊されてしまったりして、「借りたものが帰ってこなかったら困るでしょ?」と聞くと、「ペンが要るなら借りればいいじゃん」とフツーに返されるとか。


もうここまで読んで「多分ボクにはフィジーという国はムリだな」と思ってしまいました。



そんな章の合間には、そもそもフィジー人のテキトーさや共有の文化はどこから来るのか?という解説があったり、著者とおのののかさんの対談が入ったりすることで「ああ、そういう考え方もあるかもね?」と溜飲が下がるものの、そこは日本人的な律儀さや真面目さなのか、その場に居たらイライラで耐えられないだろうなと思ってしまいます。




【「今」「つながり」と読み進むうちにだんだん「イラッ」としているのがおかしいのか?と思い始めた】

ある時、病院で出会った若者は「父親が頭をケガしたから」と、就いていた定職を辞めて介護していたそうです。それを当然のように「そんなんで仕事辞めて大丈夫なの?」と聞くと、「今はお父さんのそばにいて介護したいのに仕事なんてしてたら後悔するよ」と答え、「Life is Shortやで!」って笑顔で返したそうです。


こうして読み進んでいくと「え?なんか自分って冷たい人間になってる?」って、なんだか自分の価値観を揺さぶられている気がしてきます。



そして著者が国が運営(入居は無料)している高齢者の施設を見学すると多くの入居者はインド系だったりして、フィジー人の高齢者はほぼ居なかったとか。それを職員に尋ねると「フィジー人はとにかく誰かが助けるから老人ホームに入る必要がない」と答えたそうです。それが親戚じゃなくても友達や近所だったり、なんなら赤の他人でも助け合うからそんな援助を受ける必要がないと。そして地球温暖化による海面上昇で領土が沈んでしまう可能性のある国キリバスやツバルが、周辺国に援助を求めると世界中の国々が拒否するなかで、その両方の国に受け入れを表明したのがフィジー共和国でした。


そんな大統領の会見を聞いた国民も「フィジー人として誇りに思う!」と指示したそうです。

そもそも温室効果ガスの排出量第5位の日本を始めとしてそんな当たり前のことを出来ない国が並ぶ中で、下から数えた方が早いフィジーが先に手を挙げるって、ますますおかしいですよね?



人類皆兄弟!って子どもの頃はよく聞いたけど最近聞かないなー



【今という時間をゆったりと交流して楽しみ、人生は短いことを知る人たち】

フィジーの人たちの、なんだか時の感覚がおかしくなってしまいそうな価値観。

約束の時間をすっぽかすなんて日常茶飯事でお客さんを待たせたまま帰ってしまう店員や、騙されていると知りながらお金を渡す大らかさとか、そういえばボクら昭和な日本人なら昔は持っていた「人を分け隔てなく信じる心」をそのまま持っているフィジーの人々。


思えばボクが子ども時代を過ごした愛知県の片田舎の小牧市は、すぐ目の前の家との間のフェンスには出入り口があって行ったり来たりは自由。それだけじゃなく玄関に鍵を掛けることもなく、隣り合ったりお向かいの家とは子ども同士はいつでも声掛ければ出入りして、お互いの家族の面倒を見合う環境で育ちました。そんな中で育ってきたのに今では隣の家の人の顔もあまり見たことがないとか、近所の皆さんとも交流がないとかも当たり前のようになっていること。きっとそんな現状もフィジーの皆さんに言わせれば、「なんでそんなに忙しいの?それで幸せなの?」なんて言われてしまいそうです。



ボクらはいつも時間に追われて、忙しそうにしているクセに大事な人に会う時間は二の次で、それなのに人生は長くずっと続くものだと思っている。でもフィジーの皆さんは日々忙しくせず今を大事にしているのに、大事な人のためなら全てを投げ打っても一緒にいるのは「Life is Shortやで!」って知っているからって、どちらが時間を大切に使っているのか分からなくなってしまいます。





そんなヒトとして当たり前な感覚を思い出させてくれて、今の自分の立ち位置を確認させてくれるこの「まんが南の島の脱力幸福論」。

よければ手元に置いて今の自分が大切な何かを忘れていないか?って確認したり、「イザとなればフィジーに行けばいいか!」みたいに脱力の場にしてもいいんじゃないでしょうか?きっとそんないい加減な思いのボクらに対しても「ブラッ」て、気楽に挨拶してくれるんじゃないでしょうか?





【もしお墓でこんな悩みがあればお気軽に当店へ ご相談ください】 

・花立ての穴が小さくて水がたくさん入らないし洗いにくい

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 他にもとにかくお墓で困っているー!という方は、まずここからボクに連絡くださいね。

現場に出て留守にすることもありますので、当店をお訪ねの前にはまず1本お電話くださいね。



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お墓のおざわや  

店舗住所:名古屋市名東区高針原2-101

電話番号 : 052-734-8102 

営業日:月曜日~土曜日(日曜定休)   

営業時間:朝9時から夕方5時まで





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とにかくまず始めにお電話でご予約くださいねー!