blog詳細

おざわやの代表のブログです

》過去の捉え方次第で未来を選べるかも知れない

2023.12.19

量子物理学と仏教を学んでいくと時間という概念のあやふやさと面白さを同時に感じて、未来を自在に生きられるかも知れない、というブログ。



お釈迦さまが拓かれた教えを今では単に「仏教」と呼びますが、世界中にはさまざまに枝分かれした仏教があり、そのうち日本に伝わって主流となっているのは「大乗仏教(だいじょうぶっきょう)」と呼ばれています。それとは若干違う元々の仏教は、ざっくり言えば仏の教えに帰依して出家することによって仏道に入門すると仏教徒になれるというもの。その時にいただく新たな名前が「戒名』であり、それが僧侶としての名前で、あくまで自分が悟りを開くために仏教を学びます。



それ以外の出家はしないけれど仏の教えに感化されているという人は「在家信者(ざいけしんじゃ)」と呼ばれ、僧侶に布施することによってそんな仏の教えを説いていただいて、そんな仏教教団を支えるというもの。そこではヒトはどう生きるべきかという、哲学的な問いに対する答えが探究されていました。




【現在は過去によって作られているんじゃなく不確定な未来からやってくる】

そんな元々の仏教では、この世のモノやコトは全て永遠に存在せず移ろうものであると伝えています。つまりすべてのものは留まらずいつか滅するし、そもそもモノの存在の本質は実在せず、「互いの関係性(因縁)次第で生まれては消えるもの」としています。そんな時の流れは確定していない未来から現在へ現れ、我々が目にするとその一瞬(刹那:せつな)に過去(刹那滅:せつなめつ)へと流れ去っていく。そんな未来・現在・過去を「三世(さんぜ)といって、我々が見ているのはそんな一瞬の連続であり、まるで映画のフィルムをスクリーンで見ているようなものです。



この映写機の説明は曹洞宗の僧侶であり、インド哲学者の木村泰賢さんが著書の中で取り上げたくだりで「諸行無常(しょぎょうむじょう)」を分かりやすく説明するために用いられたもので、過去は刹那滅が収まった「あなたという人生」のフィルムということになります。




映画は1秒間に24コマの画像が流れることで映像に見えてしまうだけ(Photo: Adobe Stock)




実は科学的に見ても「時間」というのはあやふやなものと捉えられていて、人間が自分たちの都合がいいように勝手に決めた概念の一つと考えられています。実際に高い山の上では時間の流れは早くなり、低いところでは遅くなるそうだし、もし光の速度で飛ぶことができるなら時間の流れは7倍も遅くなるとか。



そして最新の量子物理学では、さらにパラレルワールド(多次元世界)というのも理論的に存在するものとされていて、その概念の中では時間は過去から未来へ流れるというよりも、不確定な未来からやってきて現在を通り抜けて過去に収まることで確定すると言われていて、それはまるで上で説明した仏教にいう「三世」のようです。それからいえば過去だけはすでに確定したものですが、未来にある無限の可能性を持つコマ撮りの画像から、ランダムに現在の我々の目の前に現れたものが過ぎ去っていくだけ。


未来はもちろんのこと現在だっていつも不確定ではありますが、その視点によっては見え方が変わるはずです。




未来には無限の可能性があり、私たちが目にすることで現実化して過去になる




さらには脳科学からいえば、「手を挙げよう」と思った瞬間と我々が思っている「今(=刹那)」にさえラグがあり、実際に「挙げよう」と意識するより0.35秒前には脳から手に向かって電気信号がすでに出ているそうだし、その前の予備信号的なものはさらに0.2秒前に出ているそうです。ということは我々が「自分の意識」と思っているものは、すでに0.55秒ほど前に下されていた指令を追認しているだけとなります。



つまり映画のフィルムでいえば、1秒間に24コマの静止画が続けて流れることで我々は「映像だ」と認識するのですが、その約10コマ分も手前で「手を挙げろ」と脳が出した命令を、後でアタマが認識してスクリーンで見た映像を【自らの意識】だと思いこんでいるのです。そして仏教では「今=刹那」の次に映されるべき一コマはすでに選ばれていて、それを「未来正生位(みらいしょうしょうい)」と呼んでいます。もしかするとそれは、意識が追認する前に脳が出している命令のことを言っているんじゃ?なんて思ってしまいますよね。


こんな風に最新の脳科学や量子物理学がやっと解き明かしてきたことを、2500年ほども昔にお釈迦さまが説き明かしていたとは驚いてしまいますよね。




飛ぶ瞬間にはもうすでに飛び降りていなければ間に合わない?




【未来が決まってからやってくるなら、過去は関係ない?】

でもそうするとこれまで我々が大乗仏教で習ってきた、過去の行いによって結果が決まるというような「自業自得」とか「因果応報」にはならず、僕らが今をどう生きようと未来に関係ないんじゃ?なんて思ってしまいそうですよね?



実は過去の自分をどう確定するのかはいつでも自分次第で、いつまでも過去の失敗に捉われている人にとってはいつまで経っても「ダメな自分」だし、そんな失敗を活かすことで現在の自分が成長したと見れば「成長した自分」になります。つまりある時点での自分から後にどう生きてきたか、そしてその時の自分を肯定するか否定するかで変わってしまうのは、まったく同じ次元の人生を生きてきた自分です。そこから先の一コマがどうなっていくかは自分で決められませんが、それでもこの両者がこの先同じ人生を歩むとは思えませんよね。


そう考えれば未来は向こうから勝手にやってくるけど、それをどう捉えるかも自分次第で変えられるとも考えられるんじゃないでしょうか?





【もしお墓でこんなお悩みがあれば気軽に当店へご相談ください】 

・花立ての穴が小さくて水がたくさん入らないし洗いにくい

・お墓を新しく建てたい方やもっと使い易いお墓を建て替えたい

・お墓周りを使いやすくサッパリと綺麗にしたい

・お墓に名前を追加して彫りたい

・お墓が壊れているところが気になっている

・墓地にいつも雑草がたくさん生えて困っている                     

・お墓の汚れが落ちなくて何だかスッキリしない               

・跡継ぎのないお墓をリフォームで続けて使えるようにしたい                     


などなど、他にもとにかくお墓のお困りごとや悩みがあるという方はまずここから連絡ください                 


現場に出て留守にすることもありますので、お訪ねの前にはまず先に1本お電話をくださいね                 



【店舗情報】

お墓のことなら【お墓のおざわや】へ  

店舗住所:名古屋市名東区高針原2-101

電話番号 : 052-734-8102

営業日:月曜日~土曜日(日曜定休)   

営業時間:朝9時から夕方5時まで





【 弊店への車でのアクセスはこちら】

アクセス


店舗の前に2台分の駐車スペースがあります


少し停めにくいですが、バックで駐車したほうがお帰りの際に出庫しやすいと思います







【 電車やバスでお墓のおざわやにお出での時は】

地下鉄東山線の星ヶ丘駅から市バスの「地下鉄植田」行きもしくは「地下鉄いりなか」行きに乗っていただいて15分ほどの「高針原」で下りていただいたら、北へ3分ほど歩いたら牧の原南の横断歩道のある交差点の東南角に店舗があります。

ご予約いただければ駅まで車でお迎えにあがりますので、遠慮なくご予約くださいね!


とにかくまずは始めにご来店前にお電話で予約してくださいねー!