おざわやの代表のブログです
2019.08.02
昨日からの熱帯夜に続いてお昼も猛暑日になった名古屋は35.5度。今日は外の作業は無かったものの、10日後にお手伝いさせていただく尾張旭の寺院さまの本堂の設営準備に行きました。こちらの本堂は一部エアコンが付いていますが、全体的に効くほどではなくて、お施餓鬼本番になると人の出入りもあるため汗だくになりながら一日中お参りが続きます。昨日のような炎天下の辛さもありますが、こちらのように室内でも熱中症になりそうな場合もあります。どちらにしても沢山の人が集まる仕事はラクじゃないってことですね。
きょうの日めくりは
”ありがとう”
人の心を和ませてくれる
明日から何回も言おう
照れないで 大きな声で
昨日の炎天下での案内中にもたくさんの檀家さんから「いつもありがとうね」とか「倒れないように気をつけてよ!」なんて、優しい言葉をたくさん掛けていただきました。帰る皆さんにも「ありがとうございました!お気をつけて!」とお声掛けしていますが、このやり取りをするだけで暑さに歪んだ顔が緩んで、少しだけ暑さが和らいだ気がするから不思議です。また日曜日には名古屋市平和公園内の寺院墓地で一斉にお墓まいりする日が設定されていて、そのサポートを朝からさせていただきます。そんなときにはお墓大好きなチビッコたちもたくさん来てくれるので、もっと元気な笑顔で「ありがとう!」を伝えてみたいと思っています。
以前から「お墓まいりってどうやるの?」というお話し会をさせてもらってますが、その中でも取り上げているのが、住んでいる場所によって変わるお墓の形や弔い方の話。日本国内だけでもお墓の形はそれぞれで違います。例えばここ名古屋には「名古屋型墓石」という形があり、西へ行けば四日市辺りからは「関西型墓石」だし、東へ行けば浜松辺りから関東型が混ざり始め、岐阜や長野のお墓にも特徴があります。こんなことは石材店に勤め始めて初めて気が付いたことですが、地方ごとに歴史からくる文化の違いがお墓に現れたりします。でもこれはただのパッケージの違いであり、本来の葬送法の違いではありません。
それがこと世界の国ごとになれば、そもそも葬送の方法自体が違っていて様々ですが、先日の中日新聞日曜版で紹介されていた「ニュースを問う」という特集記事で、日本国内にもあった葬送方法と文化の違いを考えさせられました。
現在の沖縄では火葬が主流となったため、それほど本土と変わらないパッケージのお墓も使われています。でも戦前まではまだ亀甲墓(きっこうばか)や破風墓(はふうぼ)と呼ばれるお墓の形がほとんどで、その頃はまだ火葬はせず、風葬といって遺体を数年放置してのちに「洗骨(シンクチ)」という儀式でお骨だけをつぼに入れ、お墓に納めるんだとお友達に聞きていました。洗骨というのは白骨化した遺体を海へ運び、海水で肉体を洗い落とす=穢れを落とすという儀式と聞いて、同じ日本人と思っていた沖縄の人達がやはり元は「琉球人」だったんだとその時初めて意識しました。
そして以前、台湾や中国に行ったときに沖縄と同じ亀甲墓や破風墓があるのを見て、今のボクらの認識とは違う文化圏について考えさせられたブログはこちら。
でもこの新聞記事によるとそれだけじゃなく、元々はこんなお墓の形すらなく崖や洞窟などの「葬所」に木棺に納めた遺体を風に晒して、まさに風化させる「風葬」という弔いが原点にあるそうです。そして権力者以外はお墓を作る事は禁じられていたので、一般の人はそのまま放置されるのが普通だったそうです。明治時代に衛生的ではないとの考えからこの風葬は禁止され、 観光案内などにも載っているこの件の「 百按司墓(ムムジャナバカ) 」も壁で隠されたようです。この風葬という葬送法は現在でもインドネシア諸島など世界各地で行われており、それらから考えても琉球王国がどれほど広く海上交流していたかが知れます。
あ!スイマセン!熱くなり過ぎましたー笑
でもやっぱりお墓って人間としての文化の象徴。ネアンデルタール人が仲間を弔っていたことからヒトに繋がる文化を持っていたと知られるように、それぞれの文化のカタチに変わりつつ残っている弔いって、キチンと後世に残して大切にしたいなあと思います。
もうすぐお盆です。ぜひ家族みんなでお墓に行って綺麗に掃除して、今この命があることに感謝する。お墓まいりってそれが大事なんじゃないかなって。それにはやっぱり「アリガトウ」しかないんじゃないかって、そう思います。