おざわやの代表のブログです
2019.03.14
今日の名古屋はすっかり寒が戻って、雲が出るたびに雨や霙(みぞれ)の降る天気になりました。
この週末までこんな空模様のようなので、まだまだ風邪にも気をつけないといけませんね。
こんにちは!店主のおざわです。
今日のミゾレにはビビりましたが、いよいよスタッドレスタイヤの交換に向けてホイールを洗いました。
綺麗にしておけば来年そのまま使えますからね。今日も色んなお客さまとお話しできて楽しかったなー。
さー今日も #閉店ガラガラがっしゃん お疲れさまでしたー! pic.twitter.com/hTd64UAWZk— おざわあつし お墓まいりの楽しさを伝える石屋さん (@stone_ozawaya) 2019年3月14日
急な天候の変化がある季節、車の運転にも気をつけなければなりませんね。
車を運転する皆さんは細い路地で上手くすれ違えそうにない時に、譲ったり譲ってもらったりというシチュエーションに会うことはよくありますよね。そんな時に挨拶したりされたりするのに、どうやって気持ちを伝えていますか?
例えばボクは譲ってもらったときは、相手の目を見てから軽く手を挙げたりします。それは待ってくれてるのか、それとも他ごとに気を取られて動いていないだけなのかを確認する意味もあります。逆に相手に先に行ってもらおうと譲った時に相手が同じように感謝を伝えてきたら、いやいやどうぞ!って意味で手を挙げかえします。でも相手が何も反応無く「当たり前でしょ?」って顔で通り過ぎると・・・、ちょっとイラっ!てしますよね。
そんな時にちょっと考え方を変えるとイライラせずに済むんです。
それは運転している場合ではありませんが、仏事などで和尚さまにお経を上げていただいた場合です。
和尚さまがあなたのご先祖のためにお経を上げていただき、それが終わった時にお布施を渡しますよね。その時に「ありがとうございました」って渡すのはダメって知ってますか?それは何故かといえば、そもそもの仏教の考えかたにあります。
和尚さまがお経を上げるのは「法施(ほうせ)」といって、仏さまの教え=法を目の前の人に施すことを言いますが、「施し」というのは相手に与えることで自ら「徳(とく)」を得るのです。ではその「施し」を受けた私たちがどうすればいいかというと、お布施という形でお金を施して「徳」を得るのです。その施しは「財施(ざいせ)」と言って、ただ渡すだけで施した側も施された側もそれに対する感謝を受けてしまうと、得られるはずの徳はその相手のものになってしまいます。
どちらも相手に与えることで得られる「徳」。それってよく言われる「ペイフォワード」の考え方に似ていますね。
もしも「お先にどうぞ!」って譲っても相手からの感謝がなかったら、その時は自分が「徳」を積めたなって思えば良いんです。そうやって考えれば「相手」がどんな人でもどんな対応をされても、自分には関係ない事になりますよね。でももし自分が譲って貰った時は相手がどんな考えかたの人か分からないので、手を挙げるなりして感謝を伝えればいいと思います。そんな時は徳は自分のモノになってしまいますけどね。
ちょっと自分勝手に思えるかも知れませんが、こんな仏教の考えかた伝わっていますかね?
譲っても譲られてもその受け取りかたは自分次第で、相手の考えかたに左右されてしまう自分って詰まらないですよね。
そもそも自分が生きたいように生きるという判断を下す。そんな第一歩として普段の生活を変えてみるってどうでしょうか?
では今日のブログはこんなとこで!