おざわやの代表のブログです
2022.05.10
墓石そのものをご先祖の体と見立てる考えかたの方もみえますが、元々は土葬で埋めたご先祖の体を見失わないように標(しるし)として石の碑を立てたのが墓石の始まり。その後、火葬が中心となったために埋めるというよりも「納めるための器」が必要になったのが現在のお墓の形に繋がっています。そんな歴史から言ってもお墓の石を【ご先祖そのもの】なんて考えるのは、少々強引なこじ付けではないかな?と思っています。
2年前に書いたお墓に水を掛けるか?というブログ
じゃあご先祖の魂はどこにいるのかといえば、仏教では四十九日を過ぎれば仏様のおられる世界に行かれている筈で、お墓に残っているのはその亡骸であるお骨だけです。そんなご先祖が心残りと共にこの世に残してしまった身体を自然に還すまでの間、魑魅魍魎(ちみもうりょう)から護っていくのがお墓という器であり、それを守り清めるのが子孫の役目だと2年前のブログにも書かせていただきました。
でもそう考えるとお墓で手を合わせるって、何に対して手を合わせてるのか?って思いませんか。
先日いつものようにお墓まいりのお掃除をして、花や線香ろうそくを供えて手を合わせていて、お墓のサオ石(小澤家と彫ってある石)にそんな自分の姿が映っていることに気が付きました。小澤家のお墓はコンパクトで立ったままだと腰の高さくらいしかないので、墓石の手前の敷石の上にしゃがんで手を合わせてお参りします。そうするとサオ石のど真ん中に自分が映り込んでいたので、まるで「小澤家」と彫ってある石の奥の方で誰かが手を合わせて、こちらを見ているように思えました。
もちろんそれは自分の姿なんですが、ふとそこで思い出したのは神社の御神体について書いてあった一つの考え方。「なぜ御神体は鏡なのか?」というコラムに書いてあったことです。
そこに書いてあったのは御神体の丸い鏡はひとつには太陽信仰の現れだということ。そしてもう一つには鏡に映る自分の姿をそこに見るということ、と書いてありました。もちろんそれは「自分の姿が神様だ」という意味ではなくて、鏡の中に自分の姿を見ているうちはまだ「私が私が」という【我(が)】が現れているんだということ。そしてもし自分の姿が見えなくなるくらいに【我】を消すことが出来たら、そこには神様の姿が見えるのかも知れないね、という文章でした。
その時はなるほどなあと思って読んだだけでしたが、こうしてお墓に映り込んだ自分の姿を見て「まだまだ我が出てるなあ」なんてクスッと笑ってしまいましたが、よくよく考えてみれば、お墓の中に納まっているご先祖たちの身体からいただいたDNAで出来たのがこの身体。ということはご先祖たちのDNAの粋が自分の身体です。そんな身体でご先祖さまたちの前に手を合わせて見せることで、さらに安心して眠っていただけるんじゃないか?とも感じて、実は「ご先祖さまの魂ってこの世では自分の身体にこそ宿ってるんじゃないだろうか?」なんて思ったんです。
ご先祖さまのDNAの行く末が子孫の身体ならば、お墓まいりってもしかしたらそんな身体で無事健康で暮らしていることをご先祖に見せるための場所であるかも知れないなって、そんな風に思いました。そうするとお墓の石に映り込んだ姿の表情までは見えないけれど、もしかしたらその顔はご先祖の誰かだったりして?なんて。笑
あの世で自分の残してきた身体を心配なご先祖さまに安心してもらうために、子孫がしっかりと守り清めていくのがお墓まいりです。それと同時にお墓って自分の身体に宿っているご先祖の魂を映して感じられる、そんな場所でもあるような気がしてきました。
・花立ての穴が小さくて水がたくさん入らないし洗いにくい
・お墓を新しく建てたい方やもっと使い易いお墓を建て替えたい
・お墓周りを少しキレイにこざっぱりしたい
・お墓に名前を追加して彫りたい
・お墓が壊れているところを直したい
・墓地にいつも雑草がたくさん生えて困っている
・お墓の汚れが落ちなくて何だかスッキリしない
他にもとにかくお墓のお困りごとや悩みがあるという方は、まずここから連絡くださいね。
現場に出て留守にすることもありますので、当店をお訪ねの前にはまず1本お電話くださいね。
【店舗情報】
店舗住所:名古屋市名東区高針原2-101
電話番号 : 052-734-8102
営業日:月曜日~土曜日(日曜定休)
営業時間:朝9時から夕方5時まで
アクセス
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