おざわやの代表のブログです
2024.06.08
毎年5月から12月まで全7回に渡る、社会人教育のための「おもしろ学校」は、学校の先生たちがそれぞれの教科を担当していただくのですが、普通の授業では取り上げられないような講義を繰り広げていただく面白い授業です。
昨夜行われた授業は「授業名人」として、”生徒を惹きつける授業”を先生に教えている高橋先生の国語の授業でしたが、取り上げられたのは万葉集にも取り上げられている柿本人麻呂の短歌。でもその内容は国語というジャンルに留まらず、その時代背景や謎が多いとされる宮廷歌人の柿本人麻呂本人や、歌の詠まれた風景から読み取る謎やミステリーを推理していくようなお話でした。
学校の授業では”風流な歌”としか紹介されていない人麻呂の短歌
東(ひむがし)の野に
炎(かげろひ)の立つ見えて
かえり見すれば月傾(かたぶ)きぬ
まず宮廷歌人としての柿本人麻呂は持統天皇の寵愛を受けており、その歌に読まれる詞による言霊(ことだま)で天皇家や国家(倭国)の安寧を現実化するという、霊力さえ求められる存在だったということ。そしてこの歌の詠まれた時代は朝鮮半島での白村江の戦いで、倭の国として百済と手を組んだ連合軍が唐と新羅の連合軍に大敗し、律令国家としての日本へと生まれ変わるような動乱の時代。
また国内でも政争による壬申の乱で都を逃れた持統天皇らが、初めに陣を張ったのもこの阿騎野(あきの:現在の宇陀市)の辺り。しかもその後、天武天皇の跡を継ぐ予定だった息子までも病死してしまうという波乱もあって、一時持統天皇が即位。この事態を無事収め、孫に皇位を継承させたいという天皇の祈りまでが込められた歌でした。
さらにこの歌が詠まれた日は冬至ということで、陰が極まり陽へと転じていく日。このを選んで亡くなった草壁皇子の魂を鎮めて、孫の軽皇子(のちの文武天皇)へと「魂振り(継体受霊の儀)」をさせ、皇位を継承させるよう命じられた人麻呂は軽皇子を伴って旅人を装い、この地で野営。その夜明けに合わせて人麻呂は長歌を一首と短歌を四首詠んだうちの一つがこの短歌でした。
またここ阿騎野は多くの歴史上の伝承が残る場所であり天照大神や神武天皇の伝説までも重なる地で、人麻呂が「東の野に炎の立つ見えて」と詠んだ日の出の方向には、不死の薬として珍重された水銀が取れ天皇家が薬草を採る重要な場所でもあったことなど、言うなれば神の世界と人の世を隔てるような地。
曰くある神社が多く残る地
そこで詠まれた四つの短歌
この祈りあってか、無事697年に持統天皇から15歳の軽皇子に譲位、文武天皇となります。
ただの冬至の朝の風景を詠んだだけの歌だったはずが、こんな読み解き方をしたことで歴史ミステリーのような展開を推理でき、また現代にまで繋がり歴史を左右するような出来事までもが透けて見えるとは驚きでした。
またこの歌に詠まれた薬草狩りをした「炎の立つ東の地」は、現代においても大手製薬会社が興った地となっているのも不思議。
水銀で財をなし、薬草で商いを拡げた3社
そのスタートは万葉集の中の一つの短歌でも、そこに編み込まれた歴史を紐解いていくと歴史となり、またそれが我々の生活にまで浸透していることが知れる。そんな学びはただの学習ではなく知る喜びにも繋がるという、そんな楽しい時間になりました。
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