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おざわやの代表のブログです

多過ぎる情報をそこからどう選ぶのかを考えました

2019.02.15

またここ数日は名古屋も冷え込んでいます。ただこの冬は雪はもう無さそうかな?という雰囲気です。スタッドレスタイヤが試したいような気と降らない方が良いという気が半々ですが、やっぱり降らないほうが良いですよね。

 

だいたい朝起きて紅茶を飲みながら、何気なくテレビをつけると殆どの局で情報バラエティーなる番組がやってますね。

中には大切な情報もあるし見ててほのぼのとするような話題もあるけれど、そうではない情報もかなりあります。例えば芸能人や政治家の不適切発言とか不適切な関係とか普通の人の不適切動画とか。「不適切」って言葉が最近乱発され過ぎていませんかね。

 

 

デジタル大辞泉の解説

ふ‐てきせつ【不適切】

[名・形動]その場の状況や話題となっている事柄に対する配慮を欠いていること。また、そのさま。「不適切な発言」「不適切な表現」「不適切にも程がある」

 

 

 

適切ではない行動や言葉を動画で取って、「どうでしょう?配慮しなさい」とばかりに吊るし上げるような情報って、まず見ていてすがすがしいものではないですよね。やる方が悪いと言えばそうなんですが、大々的に取り上げて煽るようなものでは無い気がします。

まあ、嫌なら見なきゃいいだけですけどね。音消すだけでも気にはならなくなるな、と思った朝のツイート。

 

 

 

情報って受け取りかたで変わるもの

テレビなら見ないか、音消すかそれとも違う局を見るかという選択もあります。まず夜、家に居るときはほとんどアマゾンプライム見ているので、「不適切」な情報を目にすることはありません。それもひとつの方法ですよね。   でも中にはツイッターやフェイスブックなどでも、リツイートやシェアによってそういった情報が目に入ることもあります。そんな情報を目にしてしまった時に、それをどう受け止めるかによってもその後の関わりが変わってくる気がします。例えばフェイスブックで問題提起をするようなシェアをすると、それに反対するような方から長文の反論を受けたり、更ににそのことをあげつらう様に再びシェアされるとか、際限の無い感情のループに入り込んでしまったようなやり取りを見ることがあります。そんな投稿って見てるだけで心がザワザワしちゃいますよね。 前はそんな時に、「いいね」の怒ってる顔のマーク付けたり意見のコメント入れてみたりしていた時もありましたが、そうするとどんどんそういうものに触れる機会が増えてしまったりしました。最近では「色んな考え方の人がいるなあ」とか、「もっと気分が晴れるようなことを見たいよなあ」なんて考えながら眺めるくらいにして、自分から反応してしまわないようにしています。    

 

 

 

 

ファクトフルネスという考え方

今読んでいる本の題名なのですが、物事を2つに別けて対立させようとしたりする本能を抑えようという考え方が書いてあります。まだ半分を過ぎた辺りまでしか読んでませんが、ボクたちはかなりな部分を先入観から影響を受けていて、色んな物事を「良いか悪いか」で判断しがちです。でもこの本の中には「「悪い」と「良くなりつつある」ということは両立して良いんだよ」というようなことが書いてあって、ますます冷静に情報にあたって心を穏やかに保つことができそうな気がしてます。 またこの本のことは読み終わったら内容をまとめてみたいなとも思ってますので、そうしたらブログに書いてみますね。      

 

 

 

 

配慮って見ているこちらですればいいもの

最初の話に戻って、フテキセツのハナシ。 例えばどこかのコンビニやスーパーで店員やお客さんがふざけた動画を投稿しているのを見たとき、許せない気持ちになってリツイートやシェアしてしまえば投稿した人の思うツボで、もっとふざけてやれっていう人も出てくる。そんなことしてるからって全部のコンビニでやってる訳でもないのに騒ぎ立ててしまうよりも、もっと「配慮」してやり過ごせば良いのにって思ってしまいます。もしかしたら中には内輪だけのオフザケのつもりだったのに、またそれを見た人のオフザケで投稿されてしまうこともあるかもしれませんね。まずはそんな感情のループに巻き込まれないように、そういった情報から離れて穏やかな情報や楽しい情報を発信する人に囲まれてしまえば、明日もきっと朝から気持ちの良い情報で目覚められるはず。そんな風に思います。 それには何事も準備だよなあって思ったツイート。    

 

 

 


 

 

さ、明日の準備したら今晩はアソシア志友館の常任理事会。ここも良い気分の人しか集まらない会。楽しみだなあ。

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