おざわやの代表のブログです
2018.05.19
おはようございます、昨年冬に水行を初めて体験して死ぬかと思ったオザワです。
お友達から「お伊勢さんに水行しに行こう」と誘われて、お伊勢さんに呼ばれたらしゃあないと勝手に思い込み、
12月の寒空にふんどし一丁で五十鈴川の清流へと足を踏み入れました。
まずは川原で体操をして、他の参加者の皆さんと声を合わせながら腰の辺りの深さまで入った時、
寒さ冷たさというのは意外なほど感じないんですが、感じたのはそれを通り越した【痛み】だったんです。
そして肩まで浸かって声を合わせて和歌を詠むのですが、身体の中は徐々にヤバイ感じになってきます。
顎はガクガク、心臓はバクバクしてパニック状態ですよ。
肩から更に首まで浸かろうと頭の中ではヒザを数センチ落とそうとしているのに、ヒザは逆に立ち上がろうとする。
皆に合わせようとする頭と、死の危険を訴えて逃げようとする身体、そしてそんな状態を俯瞰してみている意識。
人間の身体には色んなものが詰まっているんだなあと感じた体験でした。
修験道者や神様の前での役目にあたる方、これから得度して僧侶になろうとする方など、
【禊ぎ(みそぎ)】と言われる水行で、水をかぶったり滝に打たれたりしますよね。
これはもしかしたら暴走しがちな身体や知ったかぶりなアタマを、心または意識の力で制御するのが目的なのかなって。
それでこそ【心頭滅却】されて精神統一ができるのではないかと。
それにはやっぱり凍えるような冷たい水が良いんでしょうね。
ネパールのお釈迦さまが生まれ育ったお城に残る井戸で
手を洗わせてもらいましたが流石にヌルかった!
お墓まいりのお話しの中で、お墓にかける水の話しをします。
よく「ご先祖の頭から水をかけて失礼にはなりませんか?」といわれることがありますが、そんな時は
「身を清めようと滝行をしてお湯が落ちてきたら、ただの打たせ湯になっちゃうけどそれでお祓いできますかね?」と聞き返します。
お墓の石というのはあくまで祈りの標(しるし)であり、ご遺体を自然に返すための器です。
それを清めようというのに、冷たい水はダメなんて本末転倒ですよね。
ちなみに供える水とかける水は、同じ水でも意味は違いますからね。
そんなことを意識しながらあげると、少しだけスッキリするかもしれませんよー。
さあ週末です、春彼岸以来お墓に行ってないという皆さんは是非お試しを!