おざわやの代表のブログです
2023.03.09
愛知県は日本で一番寺院数が多く、それはコンビニよりも多いほどで、神社を合わせた数でも日本一の多さです。それは寺院に対する尾張徳川家の庇護があったからとか、歴史的にも交通の要所であったことなども要因だそうです。特に名古屋城から名古屋市熱田区の熱田神宮の間には数多くの寺院がありますが、そんな以前にもこの辺りが栄えていたことを表す史跡がこの断夫山古墳です。
愛知県内に現存する古墳の中では最も大きく全長は151メートルですが、これまでに発掘調査はされたことがなく、その由来や築造された時代については伝説がある程度。そんな断夫山古墳の発掘調査がやっと始まり、その調査結果から何が見つかるのかが注目されています。
こういった古墳ってもちろん国の史跡ではあるけど、発掘しようとするとまずは皇室に許可を取らなければならないそうですね!
この古墳が作られたのは現在のところ5世紀から6世紀と言われており、それは周りから発見された埴輪などの作りから予想された年代。そのあたりのころで考えられているのが、26代天皇に尾張家から嫁いだ目子媛(めのこひめ)やその親である尾張連草香(おわりのむらじくさか)あたりではないかという説があります。
そしてこの断夫山古墳は熱田台地の突端西側にあり、その反対の東側が熱田神宮という立地からもある程度の権力者だったのだろうと予想されています。でもそんな熱田神宮にはさらに古い伝説があり、それは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)伝説です。
当時は熱田神宮は半島の先っぽで、江戸時代には古墳の上から海を見ていた様子が尾張名所図解に残っています
その伝説というのは日本武尊が景行天皇の時代東征のおり、この尾張国に入り宮簀媛(みやずひめのみこと)と婚約したものの、結婚する前に白鳥となって飛び去ってしまったというもの。そのヤマトタケルを祀ったのが隣の白鳥古墳で、そんなヤマトタケルを思って亡くなったミヤズメヒメのお墓が断夫山古墳という名前の言われだと熱田神宮には伝わっているそうです。
ただ歴史上でのヤマトタケル伝説は4世紀ごろと言われているのでこの古墳の築造年代とは隔たりがあるともいわれ、そんなところにも何らかの結論が出るのではないかとも期待されています。
でも正しい認識も大切かも知れないけど、こんな歴史ロマンを感じさせるような伝説も大事にしたいですよね〜。
・花立ての穴が小さくて水がたくさん入らないし洗いにくい
・お墓を新しく建てたい方やもっと使い易いお墓を建て替えたい
・お墓周りを使いやすくサッパリと綺麗にしたい
・お墓に名前を追加して彫りたい
・お墓が壊れているところが気になっている
・墓地にいつも雑草がたくさん生えて困っている
・お墓の汚れが落ちなくて何だかスッキリしない
・跡継ぎのないお墓をリフォームで続けて使えるようにしたい
などなど、他にもとにかくお墓のお困りごとや悩みがあるという方はまずここから連絡ください
現場に出て留守にすることもありますのでお訪ねの前にはまず1本お電話ください
【店舗情報】
店舗住所:名古屋市名東区高針原2-101
電話番号 : 052-734-8102
営業日:月曜日~土曜日(日曜定休)
営業時間:朝9時から夕方5時まで
アクセス
店舗の前に2台分の駐車スペースがあります
少し停めにくいですが、バックで駐車したほうがお帰りの際に出庫しやすいと思います
地下鉄東山線の星ヶ丘駅から市バスの「地下鉄植田」行きもしくは「地下鉄いりなか」行きに乗っていただいて15分ほどの「高針原」で下りていただいて、来た道の反対を向いて名古屋高速の高架道路のほうへ3分ほど歩いたら右手に店舗が見えます。
またはご予約いただければ駅までお迎えにあがりますので、遠慮なくご予約くださいね!