おざわやの代表のブログです
2019.09.20
明日からまた3連休でお彼岸ながらお天気は下り坂な名古屋。まだ今日中は晴れているようですが、最高気温は28度までと少しずつ秋めいてきているようです。昨日のブログで興奮気味にお伝えしましたが、昨夜は当店の目の前の駐車場にキッチンカーを持ち込んで(乗り込んで?)、モバイルバーkey to(キートゥ)が営業していました。昨日の営業ではウチと隣り合った3店舗のオーナーや関係者が占拠して、フードメニューを殆ど食べ尽くすという暴挙に出ました笑
名古屋市でも中心部から離れた名東区の片田舎ではまず見ることのないオシャレな一角に、通りがかった近所に住む皆さんも何人も除きに来ました。確かに帰宅途中にふと見かける屋台って、惹きこまれてしまう魅力がありますよね。
このお店のオーナー信くんとは以前から色々な飲み会で顔を合わせていたのですが、その頃はまだ趣味でカクテル作ったりしていただけ。でもその後好きなお酒を仕事にして、レンタルスペースでの常設バーを経て、現在のカタチになって約半年だそうです。
常設の店舗ではなく屋台営業を選んだ信くん。昨夜は開店から閉店間際までその一角に居座りつつ、その様子を見させてもらいましたが何となくその面白さというか、向いている方向みたいなものを感じられました。
「屋台という生き方」というのかな?それを感じたのは彼が憧れる、屋台バーの先輩のツイッターを紹介してくれたから。
この神出鬼没の屋台バートワイローは手引きのリヤカーを改造したもので、それこそ決まった営業場所は無く、その日にツイッターに上げられる謎掛けのような告知のみ。そしてここで提供されるのはカルバドスというリンゴ風味の蒸留酒のみ。冬でも囲いも暖房もないまま立ち飲みというスタイル。アレも無いコレも無いというより「それしかない」という潔さで酒飲みたちに愛されているお店のようです。でもそれこそ信くんも東京に行ったときにツイートを元に探してみたけれど、遂に見つけられなかったという笑
筋金入りの屋台引きですね。
そんなトワイローさんのツイートや信くんを見ていて、「屋台」というのはひとところに居付かない潔さがあるのかな、と。いつもそこに居るっていうのもひとつの価値ですが、逆にいつ会えるか判らないというのはそれ以上の価値があるんじゃないかと感じたんです。そりゃいつも同じところに居て常連さんに囲まれてっていうのも楽しいし何より有り難い。お客さんの方からしたって何処にいるか分からないし、いつやってるか判らないって不便だしなんだよ!ってなる。でも常連さんばかりに囲まれてると、ぬるま湯のように気付かずだんだん冷めていって、いつの間にか常連さんさえこなくなるってこともあります。
ところが今ならSNSを使えば何処に居たって情報発信できるし、どうしても行きたいなら探したっていい。そんな環境がお店にとってもお客さんにとっても、いつも一期一会で毎日が新しい出会い。これってもしかしたら茶の湯にも通じるものでしょうか?
そんな毎日も良いなあと素直に思えたんです。
お釈迦さまは29歳で家を出て35歳で覚りをひらき、その後80歳で亡くなるまで住居を持たず、寄進された道場や村々を修行と説法をしながら歩き続けました。これはひとところに居続ければ人との馴れ合いや情が生まれてしまう。煩悩の元になっているのはそんな「心の渇愛(かつあい)」だと説きました。不快な想いをするとそれを取り除きたくなる。でもその不快が無くなると今度は快さが続くことを、そしてもっともっと!と渇愛し続けるのが心だと。いつまで経っても無くならない渇愛を打ち消すことこそが覚りだと言われることもあります。
もしかしたら「屋台引きという生き方」も、そんな意を含んでいるんじゃないかという気がしました。
そんな居付かなさを含んだ幻のようなバーを営業します。飲み物も食べ物も無く、ただただ店主オザワが居るだけ。目の前のキッチンカーで買った飲み物を持ち込んでいただくのはOKで、席料もなくセット料金もなし。
逆にお墓のおざわやでお仕事させていただいたお客さまには、ドリンクを一杯サービスさせていただきます。
ただし雨が酷くなった場合は飲み物の提供さえできなくなる可能性があることはご了承くださいね。そうなったらボクが居るだけです笑笑