おざわやの代表のブログです
2019.08.25
昨夜楽しく飲みすぎて遅かった割に8時半ごろには目が覚めた朝。9時から町内の公園を掃除する当番になっていましたが、二日酔いもなくスッキリと同じ組の皆さんとご一緒してました。
掃除は組ごと交代で月一回、時間にしたらたったの20分ほど。小さい公園とはいってもどれだけ掃除できるというほどでもありません。でも目立つ草を抜いて周りを掃き掃除している間、近所といっても普段それほど顔を会わせる訳でもないので、ひとつのコミュニケーションとしても成り立っているのかな?と。
その帰り道。若夫婦が2歳ほどの女の子を連れて来てて、とてもよくお手伝いしてくれた女の子は高齢者の多い我が地区ではアイドルのよう笑。15人ほどの参加者の中を一緒に歩く女の子を見て近所の妙齢の奥様が、「日本の将来を見てるみたいだねー。子ども一人に大人がいっぱい、本当にこうなったら怖いよねー。」と。
苦笑いしながらも冗談になってない気がして、恐ろしくなってしまいました。
「イパネマの娘」や「想い溢れて」などの楽曲で知られるジョアン・ジルベルト。その彼がこの7月6日に家族に看取られて88歳で亡くなりました。ボサノヴァの神様と呼ばれるジョアン・ジルベルトはボクが20年ほど前から、小野リサさんの曲が好きになったことから知ったボサノヴァというジャンルを自ら切り拓いた方で、もちろんジョアン本人の歌声やギターも好きでした。でも一般的な言い方なら「ボサノヴァの父」というだろうに、「神様」と呼ばれていることには少し違和感を感じていました。そんなジョアン・ジルベルトのドキュメンタリー映画が追悼上映されると聞いて、内容は兎も角もっとジョアンのことが知りたくて楽しみにしてました。
フェイスブックでの呼びかけに応えてくれたのはお知り合い二人。その二人共が昔しばらくの間、ブラジルに住んでいたことのある方でした。特にお一人は一年ほどブラジルの日本人学校で教師をしていて、今は日本の小学校の先生。たまたま昨日は教え子が出る日本語スピーチコンテストへ行っていて、これまたまたま在日ブラジル人のその子が優勝したとかでお疲れのところでしたが、音楽はもちろん懐かしい景色や空気感に期待されて映画にご一緒していただきました。
映画はフランス人監督が題名通り、ジョアン・ジルベルトを探して回るドキュメンタリーで何の物語り性もありません。ただただ関係者に当たって話を聞き、ジョアンを探し回るだけ。そもそもはフランス人の映画監督ジョルジュ・ガショがドイツ人ライターのマーク・フィッシャーが書いた「オバララ ジョアン・ジルベルトを探して」という本を読んで感銘を受けたことから、自らもその意志を継いでジョアンを探す旅に出かけるという映画です。というのもマークはその作品の中でジョアンを探し回りましたが全く彼には会えず、それが原因かどうかはわかりませんが本が発刊される1週間前に自ら命を絶ってしまっていたのです。ガショ監督とマークがタイムラグはありながらも結局、同じように街を彷徨いながら関係者や家族に話を聞いて回るうちに、ブラジルという国の風景や空気、それに人々のボサノヴァに対する愛情のようなものを知っていきます。けれど一向にジョアンには会えず、さながら迷宮に迷い込んだように「どこなんだジョアン?」と呟きながらうろつきます。言ってみれば「ジョルジュ・ガショがジョアンジルベルトを探し回るドキュメント」。でもそんな中からあぶり出されていくジョアンジルベルトの本当の姿は全く謎な人物で、電話で連絡を取り合う友人ですら15年もあっていないとか、家族でもいつ会えるかわからないという生活を10年も続けているそうです。ボク自身も音源でその歌声は聞いてても彼がどんな人かなんて知らずに映画館に来て、この作品の中でジョアンのことを関係者が語る思い出話しなどから知っていったので、何だか映画の中に入り込んで「どこなんだ、ジョアン?」と彼に焦がれながら一緒に呟いている「3人目」なったみたいで、不思議な気分でした。もしかしたらこんなミステリアスなところが彼を「ボサノヴァの神様」と呼ばせるのかもしれませんね。そのあと行われたボサノバデュオのミニコンサートも含めて、良い時間を過ごさせていただきました。
この映画はもしブラジルやボサノヴァが好きな方なら是非オススメしますが、そうでない方はただ寝てしまうだけなので全く観なくていいです。
あとサンバで有名なブラジルなのに、このボサノヴァやショーロといった伝統音楽にどことなくある「切なさ」を不思議に感じたことのある方にもオススメかも?