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おざわやの代表のブログです

何を聴くかより誰から聞くかで受け取るメッセージの深さは決まるみたいです

2019.10.04

名古屋には台風18号も影響は殆どなくて、夕方にはまた【モバイルバーKey to】が来て営業してくれるようなので、心配していた本日の【haka:BAR】も開催できそうです。また色々な人とお話できると嬉しいなあ。







昨日はご相談をいただいていたお客さまの墓地を見に知多半島の公営墓地へ行きました。見たところ条件がとても良く自由度がありそうな墓地だったので、墓地管理事務所へいってお墓の向きについての規定があるか聞いてみました。すると年配の窓口担当者が「特に規定はないけど見んなこっち向いてるしねえ。なんで?」と何となく嫌そうな顔。向きを変えることのメリットを話していると奥から上司なのか少し若い方が出てきてやはり同じ事を言われるので「規則ではないけど、やはり駄目なんですね?」と最終的な判断を仰ごうとしても「前例ないし皆んなそうしてもらっているし」とのらりくらり。これ以上詰めても良いことは無さそうなので「わかりました」と帰ってきました。







こちらとしてはお施主さんにお奨めできそうな事は条件含めて全部調べます。だって造らせていただいたお墓をずっと使うのはお施主様とその家族。より使いやすく設計して長年大事にしていただきたいですからね。墓地側も「ハイ造りました。使ってね」ではなく、より長く親しんでもらえるようにという視点でもっと工夫すればいいのにな、と思いますけどね。




20数年ぶりに青山俊董尼(あおやましゅんどうに)のお話し聴きました

昨晩は出入りさせてもらっている尾張旭の寺院さまで年2回催されている「禅を聞く会」にお邪魔しました。お邪魔するといってもコチラの会ではいつもビデオ撮影係を仰せつかって、最前列で講演を聞けるという役得をいただいてます。この会は前住職から始まって来年で50年になるという息の長いイベントで、春と秋の年に2回仏教界だけでなく様々なジャンルのスピーカーを呼んで、参加費は寸志のみでお話しが聞けるという有り難い会です。以前には女優の小林綾子さんや男優の滝田栄さん、宗教哲学のひろさちやさん、漫画家の里中満智子さん、テレビのコメンテーターで有名な姜尚中(カンサンジュン)東大名誉教授など、そうそうたるメンバーがお話ししています。


昨日はこの講演会に名古屋市千種区の愛知専門尼僧堂堂長の青山俊董(あおやましゅんどう)さんをお招きしてのお話しでした。愛知専門尼僧堂というのは女性の僧侶が修行する専門の道場で、青山老師はもう40年以上もそちらの堂長を勤められている方です。出家された尼さんの修行を指導し続けて居られるというのは本当に凄いこと。ボク自身は20数年前にお仕事の関係で青山老師に2度ほどお会いして、僧堂にもお邪魔してご挨拶させていただいていました。

その時に感じた女性らしい柔らかさと凛とした厳しさを両立されている様子は、お歳を召された今でも変わらないどころか更に輪が掛かっているほど。とても来年米寿を迎えることや、今年に入って「脳梗塞」や「心筋梗塞」を患ったとは思えない話しっぷりで、90分間ずっと立ったままお話しされていたのが印象的でした。







苦しみや悲しみは気付かせてくれるためのアンテナ、仏の慈悲のプレゼント

今年の2月に脳梗塞で、6月に心筋梗塞で入院を余儀なくされたとき長く病院にいると様々な人生を見て取れたと老師。病院で忙しく働く人たちや見舞いに来る人たち、入院している中にも元気な人、車椅子の人に寝たきりの人も居てまさに「生老病死(死こそなかったけど)」をまざまざと見せられたから良かったと、おかげさまの心を持てたから心の闇を光に変えられたと仰られました。そんな時ボクならきっと「何でこんな立て続けに!ついてない!」って思ってしまうでしょう。そうすると心の闇がまた更に深い闇へと進んでしまうんだと言います。

そんなこと言われてもそんな簡単に良いほうへ考えを変えられない!なんて思ってしまいそうですが、青山老師の柔らかな物腰で言われると何故か胸の中にスッと納まります。


ふと思い出したのはそういえば昔々、小学生の頃の担任の先生がとても人気者だったこと。漢字の10問テストを間違えた分だけお尻を棒で叩かれていたけど、なぜか叩かれた分だけクラスメートが笑ってくれるのも嬉しくて、やっぱり人気だったし怒られてもキライにはならなかったな。もう50も過ぎるような歳になると敢えて他人のことを怒るのも疲れるし、恨まれたくも無いからと億劫になります。でもそれが本当に大切な人であれば心から救いたいと思うし、なんとかしてあげたい思う。そして相手がそんな風に思ってくれているかどうかが感じ取れるようにもなっています。青山老師のお話しぶりからはすべての事を我が事として受け止めて、周りを照らす月の光のように輝く。どこかそんな想いが溢れ出ていることが感じられるから、こちらの胸にも響くんじゃないかとそんな気がしました。


老師が言われていた「月の光は池の水や葉についた露、小さな水滴にも同じように映るけれど、強ければ強いほど月影が濃くなって自らの非を焙り出す。どちらを取るかは自分次第だ」という言葉も印象に残りました。

青山老師、お話し聴く機会をいただきありがとうございました。




そんな青山老師が若い僧侶の相談にのるシーンが出てくる映画『典座(てんぞ)』が来月より名古屋でも観られます。