おざわやの代表のブログです
2019.02.26
朝晩は肌寒く感じますが、昼間車に乗っているとエアコン掛けたくなるくらいの陽気になってきましたね。
こんにちは、店主のおざわです。
最近よくある、日本を訪れた外国人に密着取材する番組が好きで、昨日も晩ご飯を食べながらその内の一つの番組を見ていました。
そこで取り上げられていたのは東欧の国、ジョージアから初めて日本に来た落語好きな19歳の女の子。落語の為に勉強したという日本語は日常会話には困らないほど。番組の企画で彼女がファンだという三遊亭円楽師匠に会った時、自分でネット上の動画を見て覚えたという「寿限無(じゅげむ)」を師匠に演じて見せました。もちろんお客さんに見せるような出来ではなかったものの、独学にしては良く頑張ったと師匠から改めて一度稽古を付けてもらうことになりました。
その稽古で師匠が言われたのは「目線、そして言葉の速さやトーンをしっかり別けることで、お客さまに登場人物をしっかり意識してもらうことで情景が頭に浮かんでくる」ということ。それだけでなく例えば一人称を(わし・おいら・ぼく・拙者)のように使い分けるだけで人物像が想像できる日本語ならではの表現にも気を使うようにとの教えには、見ているこちらがナルホド!と思ってしまうほど。「話芸」っていうのはこういうことの積み重ねがあってこそなのかと納得しました。
実際彼女は2日間の練習で寄席の前座に上がりましたが、その前とは比べ物にならないほどキチンとした落語になっていました。
例えば最近よく取り上げる映画なんて総合エンターテイメントというか、良い原作があるだけではダメ。それを形にする脚本家と表現する監督、そして各スタッフに演者たちの息が合ってこそ本当に伝えたいメッセージが伝わるんじゃないでしょうか。昨日発表されたアカデミー賞で受賞した作品はもちろんのこと、ノミネートされただけでもそれぞれのパートが秀でていたからこそだと思います。
先日観てきた『ファーストマン』は視覚効果賞で受賞、他の3部門でノミネートされていましたが、宇宙のシーンと夫婦2人のシーンでフィルムの種類を変えるなど、登場人物の心情を場面ごと伝わりやすいようにと、しっかり計算されていました。この作品を監督したのはデイミアン・チャゼルで、前作は大好きな『ラ・ラ・ランド』。取り上げた題材や伝えたいことは全く違いますが、それまでの撮影法に捉われない自由な表現はやはり通じるものがありますよね。
こんなの見たらまた観たくなっちゃうじゃないか! https://t.co/cBBMRaqi9k
— おざわあつし サイコーなお墓まいりを伝える石屋さん (@stone_ozawaya) February 9, 2019
今までなら何度も何度も演じて撮影してそれをつなぎ合わせて映像にするのが当たり前だった様に思いますが、コレを見ると演者は通しで演じっぱなし。カメラの方を動かして巧妙に繋ぐというアクロバティックな撮影によって、迫力とテンポが伝わる映像になっています。
あー、また見たくなっちゃいますよね!笑
そこまで壮大では無いかも知れませんが、昨日見終わったドラマ「馬医」もなかなか面白い作品でした。
韓ドラにはよくある生まれの秘密や取り違え、または友だちとの愛情のもつれなどがしっかりと盛り込まれていましたが、それぞれの立場が逆転することによって得るものと失うもの、また変わるものと変わらないものなど、それぞれの人物像の設定が絶妙で、50話の最後まで全く飽きさせることなくテンポも落ちなかったです。
ただ見るだけじゃなくてどこがどんな風に面白いんだろう?と思ってみていると、また更に面白さに気が付くし、もっと自分にもできることがあるかもしれないって思えるんじゃないでしょうか。
最初に紹介したジョージアの女の子は、前座や前座見習いがお茶出しなどで修行するのを見て「落語には関係ないことを何故するのか?」と若手落語家に聞いていました。すると「1人の師匠を喜ばせられないヤツに50人、500人のお客さんは喜ばせられない」と教えていて、これは彼が今は亡き歌丸師匠から教えられたことなんだそうです。そんな事に気付くための何年にも渡る修行と、落語家になってからもずっと生涯落語に打ち込んでいくことで、あの歌丸師匠の名人芸があったんだと思うと感慨深いものがありました。
そこでふと自分を振り返ってみると、果たしてこんな風に毎日くだらないことを書いているブログやSNSは、彼らの出すお茶一杯のように誰かを喜ばせているのだろうか?いやそうやって考えれば、そもそもそんな風に誰かを喜ばせようという視点も薄かった!
まずは目の前の誰かを喜ばせるよう意識して日々投稿していこうと改めて思った、今日のそんなブログでした。