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》エンツォというレースの帝王の正体:映画『フェラーリ』鑑賞記

2024.07.12

世界中のセレブがこよなく愛する車フェラーリ。一代でそんなイタリアを代表する自動車メーカーを作り上げた、エンツォ・フェラーリの数奇な人生を語る上では外せない、1957年に起こった重大事故を中心に描いた作品の感想をブログに。



フェラーリといえば世界中のセレブが愛用し、クルマというよりも投資の対象となるほど価値を認められた逸品。そしてスクーデリア・フェラーリチームは長きに渡ってレース界に君臨する名門チームとして、今年もすでにF1ではオーストラリアGPとモナコGPで優勝しており、世界耐久選手権のル・マン24時間では昨年に続いて今年も優勝。


今や誰もが知るスーパーブランドとなっています。



板金工の次男として生まれ、そんなフェラーリを一代でイタリアを代表する会社にのし上げたエンツォ・フェラーリは、その数奇な人生と華やかなレース界に多大な貢献をもたらしたことで知られながら、自身はほとんど公の場には出なかった謎の多い人物。そんなエンツォを映画化すると知り、しかもアダム・ドライバーが渾身の演技を見せていると聞いて、楽しみに待っていた作品でした。




《『フェラーリ』のあらすじ》



1957年。イタリアの自動車メーカー「フェラーリ」の創始者

エンツォ・フェラーリは激動の渦中にいた。


妻ラウラとともに設立した会社は経営の危機に瀕し、

1年前の息子ディーノの死により家庭は破綻。


その一方で、愛するパートナー、リナ・ラルディとの間に生まれた

息子ピエロを認知することは叶わない。


再起を誓ったエンツォは、イタリア全土1000マイルを走る

過酷な市街地レース“ミッレミリア”にすべてを賭けて挑む——。




帝王と呼ばれたエンツォの”人となり”が窺い知れるストーリー




この作品の監督は『パブリック・エネミーズ』『ヒート』など男臭い世界観を熱く静かに描いてきたマイケル・マン監督で、現フェラーリ副会長のピエロ・ラルディ・フェラーリとも旧知の仲だそう。この原作となった『エンツォ・フェラーリ:ザ・マン・アンド・ザ・マシーン(Enzo Ferrari: The Man and the Machine)』を元にした作品の構想は、すでに20年以上も前からされていたとか。




【フェラーリというより、エンツォの物語】

若くして父アルフレードが病死し、兄ディーノも戦死。


自身も第一次大戦での従軍するものの病気によって除隊すると、子供の頃からの夢を叶えるためフィアットのレーシングチームに入ろうするものの断られ、別のチームからレースに出たことで活躍。その後アルファロメオチームからレースに出て、いくつかの勝利を成し遂げてワークスチーム入りしたエンツォ。



しかしその後は体調不良からレースも振るわず、26歳の時に彼が生まれたモデナに「カロッツエリア・エミリア・エンツォ・フェラーリ」を設立しましたが、これが現在のフェラーリ社にも繋がる歴史の始まりです。




在りし日のエンツォ(1977年) Edoardo Fornaciari//Getty Images




しかしこれほど華やかなレース界にあって彼が表舞台に立つことはほとんど無く、その風貌から「レース界の帝王」や、30歳の時に受賞したイタリア共和国功労勲章の「コンメンダトーレ」を愛称として呼ばれるほど権威的な存在と思われていたエンツォ。その陰にあった苦悩や悲しみを、1975年にエンツォとフェラーリ社が見舞われた諸々のことから描き出されたのが当作。



主要な人物として描かれるのは主に当時のレーシングドライバーたちと共に、エンツォが会社を起こした翌年に結婚して共同経営者として過ごしてきた妻ラウラと、エンツォが愛人として大切にしたパートナーのリナ・ラルディとその息子ピエロ。




風貌はもちろん歩き方や訛りまでコピーしたという、アダム演ずるエンツォ




この前年に妻ラウラとの間に生まれた愛息子のアルフレード(愛称ディーノ)を24歳という若さで失い、外に恋人だけじゃなく子供までいることをラウラに知られて家庭内は破綻状態。さらに業績も思わしくなく、アメリカのフォード社やフィアット社に提携することを進言されるほどな破産寸前で、「ブレーキは忘れろ!」「ジャガーは車を売るために走る、私は走るために売るんだ」と周囲に言い放つエンツォでしたが、公私共にボロボロです。



そんな事態を打開するための起死回生の一手として出場したのが、ごく普通の市街地を1000キロ走って競うミッレミリアという危険な公道レース。そこで優勝し、増産した車を売ることで立ち直るキッカケにしようというものでしたが、レース中にチームの一台が起こした事故によって沿道の観客が数多く亡くなり、それがのちに訴訟騒ぎになってしまいます。




ラウラとリナの間で揺れるエンツォの想い




元々資産家の娘だったラウラとは息子の死以来関係は最悪でしたが、当時のイタリアは離婚が認められておらず、12歳になる次男のピエロを認知するかで頭を痛めるエンツォ。印象的なのはラウラと二人の時は会社での厳しいエンツォの顔ですが、リナやピエロと居る時はリラックスした笑顔のエンツォ。



そして劇中ピエロにエンジンの設計のことを教えていたのは、在りし日に長男ディーノにも教えていたであろうマニホールド周りの空気の流れで、その後フェラーリ社がその名を冠して売り出した206ディーノに載せられていたのも、まさにその長男が構想していたV6エンジンでした。




ミッレミリアでの大事故のあと、一番に気にしたのは沿道で亡くなった子供達のこと




【レースやビジネスでの非情さと子煩悩さが多重人格のようで】

男が女に愛していると告げる時、それは彼女に対する欲望を意味する。

この世に存在する唯一完全な愛は、父親の息子に対する愛情だけだ。

わたしには、そうとしか思えない。



これはその後の語録に残るエンツォの言葉で、そこにあるのは息子に対する無償の愛情であり、この作品の中でもまるで別の人格のように描き出されています。対する妻ラウラは亡き長男ディーノの愛したフェラーリをその後も守り続け、「私が死ぬまでは子供を認知しないで」と言い遺します。



そして79歳となった今ではフェラーリ社の副会長となったピエロは、ラウラの死後に認知されてラルディ・フェラーリ姓を名乗っています。





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