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》儚きこの世をどう生きるかは自分次第

2024.08.08

葬儀や納骨で「朝(あした)に紅顔ありて夕べに白骨となる」と読まれることがありますが、これは亡くなった方を慰めるだけではなく、まだ生きている我々に対しても言われているんじゃないだろうか、と思ったことをブログに。



この言葉は仏教の教えの一つで《白骨之御文(はっこつのごぶん》と呼ばれる中の一文ですが、朝には頬も紅潮しているほど元気だったのに夕方には白骨になってしまっているとして、この世での命の儚さを説いています。特に親族を亡くした場合、こう聞いて「そんな無情な!それならもっと好きなことをやっておこう」と思うかも知れません。



でもこの仏教でよく言われるところの《無常の世》は、何も人生短いかも知れないから好きなことだけをやっておけという意味だけではなく、「その覚悟の中でどう生きるかは自分次第ですよ」と問われているように感じます。




お釈迦さまは80年の人生のほとんどを布教に費やしました




昔、とあるお墓の開眼式に来られた90にもなろうかという老師が「こんなじじいの法話なんて聞いたフリしとるだけだろうが、順番が違うだけでそのうち皆んなあの世に行くでな」と語られた言葉に、背筋が伸びたのを覚えています。どうせ人生短かいんだからと自堕落に生きるのも自由なら、他人を蹴落としてでも幸せになりたいと思うのも自由。



そんな老師の言葉やこの《白骨之御文》からは、朝には元気だったのに夕方には亡くなってしまうほど《取るに足らない人生》ならば、その人生の中で何を為すべきかをしっかり覚悟を決めて生きなさい、と教えられているようです。




この世にどんな足跡を残すかは自分次第




この一生この一年、この1日に何を為すのか?そしてこの一時にどんな覚悟を決められるかによって、これからの人生はいつからでも変えられる。そしてこの世での利他業によって積まれた徳は多生での徳へと繋がり、やがてもっと徳の高い人生を歩めるようになる。



犯罪者として終わって地獄に堕ちようが、お釈迦さまのように2500年以上も続く教えを説かれるのかは、同じ人間なら今後の生き方次第。そんな風にこの《白骨之御文》を捉えられたら、無駄にしている時間は無いなとも思えるのではないでしょうか。





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