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おざわやの代表のブログです

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観て感じたこと、気付いたこと

2018.12.11

 

ボヘミアン・ラプソディはもう観られましたか?

 

伝説のロックミュージシャン、フレディ・マーキュリーが率いていたQUEENの伝記的映画 『ボヘミアン・ラプソディ』は公開から1ヶ月以上も経って、いまだ話題になり続けて主要な劇場は満席続き。公開された11月初めよりもどんどん動員数が増えていくという、これまでに前例の無い人気作品となっています。

ボクはこれまで3回観てその映像に圧倒され、真実の物語に感激し、創り上げられた音楽に感動して。

今週はもう一回観に行くつもりのこの映画に、これまで感じたことをブログに書いてみたいと思います。

これを読んでこの映画に興味を持ってくれたり、共感してもらえたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボクにとってのフレディ・マーキュリーは

 

彼らがデビューした頃はまだ田舎の小学生で、洋楽なんてほとんど耳に入ってこない頃。

中学や高校になって少しずつ興味が出てくる頃に映像でみた彼は、ヒゲとサングラスでタンクトップな強面。

そして世間から入ってきたのもそれに伴ってか、「ゲイ」というこイメージだけでした。

でもそこから創り上げられた音楽はCMなどから耳に残っていたし、映像としては高校時代に驚いたこのMV(音出し注意!)。

映画の中でも取り上げられるこの曲もその背景が分かることで違った見え方になりましたが、でも当時思っていたのは「とにかくかなり変わった面白い人」でした。

 

そんなイメージではあったものの今年の初めぐらいからツイッターなどで映画のトレーラーが発表され始め、ふと気付くとその楽曲は今聴いても洗練されているし、還って新鮮に感じるものばかりでどんどん興味が湧いて、11月の日本公開を楽しみにしていました。

 

 

 

 

 

そしてQUEENという存在がボクの中に生まれた

 

公開から5日後にやっと観に行ったボヘミアン・ラプソディは物語よりもその音楽であったり音作りに圧倒され、特にラストのライブシーンではココが映画館だということをすっかり忘れてのめり込んでしまい、映画が終わった頃には放心状態になっていました。

それでも登場したフレディやパートナーだけではなく、QUEENのメンバーや関係者も含めた様々な人生模様から産み出された曲からのメッセージに心打たれました。

それまでのイメージだった「フレディのロックバンド」から、バンドメンバー全員揃ってこそのQUEENに変わりました。

でも正直言って、あまりに圧倒されすぎて内容というか物語がアタマに入ってこなかった!

 

そんな中でも1番印象に残ったシーンが曲作りの中での

 

「もっとロックしろ」

 

「わかった、魂を込めるんだな」

 

というフレディとギタリストのブライアン・メイのやり取り。

そうして全員が納得いくものになるまで徹底的に練り上げられた楽曲たち。

そりゃあ素晴らしいのも頷けますよね。

この映画の音楽プロデューサーにブライアン・メイとロジャー・テイラー本人たちが名を連ねているのも、この映画を彩っている条件の一つなのかも知れません。

 

 

 

 

 

良い映画は何回も観るべきだと思います

 

本当は2回目にはムスコ君を連れて行きたかったんですよね。

でも大学やらいろいろな予定が合わなくて、我慢できずに・・・また1人で観に行ってしまいました笑

2回目でも感動は覚めやらず、やっぱり再び見入ってしまいました。

それでも一回目とは違うシーンで胸に染みたのは、自らを襲う病魔を仲間に打ち明けたときにフレディが言った言葉。

 

「かわいそうなヤツだなんて言わせない。オレが何者であるかはオレが決める。」

 

そう言った言葉と眼の奥の光に、覚悟の決まった表現者の強さと輝きを見た気がしました。

そして何度も観ることで違う観点からの自分が産まれ、より映画の内容が深まると思うのです。

 

 

そしてもう1つ。

この時、たまたま席が隣り合ったのは、頃合いで言えば80才は越えてるのか?という背中の90度に折れた女性と、その娘さんであろう二人連れ。そのおばあさんのお隣になって「こういう年代の人でも観にくるんだな、話題の作品だからかな」なんて思ってしまったんです。

でも最後のライブシーンでふと気付くとそのおばあさんは画面に向って前のめりになり、縦に頭を揺らしながら聞き入るその眼からは涙が。

ボクは浅はかなことを考えてしまった失礼さを恥じつつ、その姿に感激してしまったんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画って誰と観るかも大切なことです

 

そして3回目の鑑賞はついにムスコ君も一緒に。

そして普段はムスコと僕が観る映画には全く着いてこないヨメも、この映画についてヤケに熱く語るボクの言葉に何か感じてくれたのか一緒に観に来てくれました。すると映画の見方が全く変わっていることに気が付きました。

 

というのもこれまで2回観てフレディと父親の関係については、父親に理解されないことへの反発がフレディの「愛されたい」という欲求の元になっている気がして、「もっと理解してやってよ」という立場でした。

でもこの日は隣にいるムスコを意識していた訳ではないのですが、なぜか父親目線で物語を観ている自分に気が付いたのです。和解のシーンでも「やっと父親に抱きしめてもらって良かったね」という感情から、「やっとムスコが理解してくれて良かったね」に変わってて自分でビックリ。

ヨメも初めて観たときのボクと同じく「こんな人だったなんて全然知らなくて、泣けたー」と、ラストのライブシーンでは3人揃って泣いていたという、これまでに無い体験もさせてもらいましたよ。

 

 

これに限らずもしアナタが「良い映画だな」と思ったら、ぜひアナタの大切な人を誘ってまた観に行ってください。

アナタ自身がそのたび違う感情が生まれてくることを感じてみて欲しいのです。

そんな作品はきっと一生の思い出になるんじゃないかな、と思うのです。

 

 

 

 

伝わらなければ存在しないのと同じ

 

これは大好きなエクスペリエンスマーケティングの考え方で、それを提唱している藤村先生の言葉ですが、まさにボクにとってのフレディ・マキュリーはやっとこの映画で存在の輝きを見せてくれました。

これまでのフレディ・マーキュリーは映画の中でも描かれていましたが、音楽には興味の無い記者たちの書いたどうでもいいイメージだけ。

もし現在まだフレディ・マーキュリーが生きているならば会いたい!でももう会うことは出来ないから、この映像の中でだけでも逢いたい!

沢山の人が何度も観に行きたくなるのは、そんな風に感じているのではないでしょうか。

 

言わなくても分かってるでしょ?ではダメで、伝えなきゃそもそも存在してることすら危ういってことです。

 

 

 

 

 

もちろん見事な演技のラミマレックが本人じゃないことは分かっててもね

 

 

 

 

初めはドルビーアトモスで2回目はフツー館で観て、3回目はIMAXで観た。

最後はやっぱりコレしかないですよね!

 

TOHOシネマズ胸アツ応援上映

 

TOHOシネマズさんの粋な計らい、映画を観ながら手を叩いても脚を踏み鳴らしても構いません。

もちろん終了後にスタンディングオベーションだって遠慮いらないという、なんと日本的なイベント笑

海外では当たり前のようですが、典型的な日本人のボクにはハードル高くて・・・

そんな風に映画好きで尊敬する短パン社長も言っておられましたし苦笑

 

でもこの企画、なんと今週木曜までしかやってません!

で、たまたま木曜の予定が空いてるってコトは行くしかないですよねーーーーーー。

というコトで4回目の予定が決まりましたよ笑