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おざわやの代表のブログです

「旬を楽しむ」ことからあとに味わいが増すんじゃないだろうか

2019.07.04

今日は雨こそ上がったものの、やっぱり蒸し暑い一日になりました。朝から現場監理に向ったけれど、会う人会うヒト皆「蒸し暑いねー」という言葉から始まります。けれどこれも日本の四季の一つでもあるわけで、こういう蒸し暑さもただ嫌がるばかりじゃなく味わってしまえばいい。

 

 

 

 


 

 

そういう楽しみ方の一つは「旬を味わう」こと。

先日久しぶりに訪ねてくれたお友だちから戴いたトウモロコシは、もらったその日には蒸して頂いて翌日にはかき揚げ。今度はトウモロコシご飯かなー?旬のものを食べると長生きするなんて言われてますが、そのものの美味しさだけでも充分に嬉しい。旬のものに併せてお酒を頂くともっとシアワセになってしまう、単純なオザワです。

 

 

 

 

 

フェイスブックに自分の過去のブログが上がってきました

ま、過去といっても10日ほど前のブログなんですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

先月末に「マリーゴールドホテルで会いましょう」という映画を観て感じたことをブログに書いて、翌日フェイスブックでシェアした投稿にイイネが付いたので上がってきたのですが、何となく自分でも読み返してみました。このブログやフェイスブックで「老後を考えてみませんか?」というメッセージを伝えたつもりでしたが、思えばなんで老後のことがそんなに気になったんだろうか?と。

そうして考えてみると老後っていつからのことなんでしょうか?

 

 

 

 

老化と老後の線引きって?

仕事を定年退職したら?

第2の人生を歩み始めたら?

それとも車の免許を返納したら?

 

 

 

いつものウィキペディアに寄れば老化とは

 

 

老化

ろうか

説明

老化とは、生物学的には時間の経過とともに生物の個体に起こる変化。その中でも特に生物が死に至るまでの間に起こる機能低下やその過程を指す。 老化は、死を想起させたり、成熟との区別が恣意的であることから、加齢、エイジングと言い換えられる場合もある。 ウィキペディア

 

 

 

つまりは下り坂に入ったら老化で、上り坂のうちは成熟ということですね。身体的にいえばもう52歳のボクは当然老化していて、それをどこから老後と呼ぶのかといえば、やはり働けなくなった後でしょうか?でも心身的に考えてみると老化というのはどこからという事はまったく無くて、本人の意欲さえあればずっと成熟できるもののように思えます。紹介した映画もそんなことをメッセージとして伝えていたように思ったんですが、それにはまず身体的な老化を自ら認めて心身的な成熟を目指す気持ちが大切で、そのスタートが何処からかといえば「今ここ」にあると思うのです。それは誰にとっても同じ、今だって思うんです。

 

 

 

 

線引きなんて必要ない、繋がっているんだから

成人した頃から徐々に登ってきた成熟の坂が落ち着いて、いつの間にやら下り坂に入っていく間に「高齢者」という線引きなんて実は無くて、だんだんとそこに向かっていくだけ。それは考えてみればヒトの生死だってそうで、生まれたら後は死に向っていくだけでどこかに線が引いてあるわけじゃない。身体的な老化は仲良く付き合っていくしかないけれど、心身的な成熟はきっと死ぬまでずっと続けられるんだから、今から始めようよって思います。

 

「旬を楽しむ」というのもこんなトコに繋がるんじゃないかな?やっぱり今を味わってこその未来。そんな移り変わりを楽しむことが大切なんじゃないかと。そんなことを自分のブログを読み返すことから深彫りしてみましたが、こんなこともブログを書きつづけているおかげ。やっぱりこれからも楽しんで続けていこうって思いました。

 

 

 

 

さあ今晩はそんなお楽しみの一つ、いつも色々な催しで楽しませてくれる魚屋の台所下の一色さんの屋上ガーデンでの「一夜限りのHawaiian Night@南国ビアガーデン」。いつも元気な看板娘のカナミちゃんが、本格的なタヒチアン&フラダンスショーを魅せてくれるそうで、天気もそれに合わせたように晴れてきたし楽しみです。

では今日のブログはこんなトコで!