おざわやの代表のブログです
2021.10.01
先日ヨメさんを駅まで迎えに行って帰るときのこと。
雨上がりの夜道のとある交差点で、赤信号が灯るその根本あたりで何かがゴソゴソとうごめいているのに気がつきました。よーく見てみるとそれはしゃがみこんでいるお婆さんで、どうも車道の際にある排水溝の網に詰まったゴミを掃除しているようでした。多分さっきまで降っていた雨で詰まって水溜りができていたんでしょう。それはそれで尊い行為だとは思いますが、それは車道のすぐ脇で歩道との間とはいえ黒っぽい服を着てしゃがんでいるお婆さん。その姿は反対車線に止まっていたから発見できましたが、自分の走っている車線の脇だったら?しかもその交差点を左折しようとしていたら?と思うと、そのお婆さんを見つけられる自信がないような場所。幸い車は走ってきていませんでしたが、ホント危ないよなあと思いました。
歩行者や自転車に乗っている人が車道ギリギリまで出て、信号待ちしている姿をよく見ませんか?
もちろんその場所は歩道の中で、そこまでは歩行者としての権利が確保されているはずの場所ですが、でも車はすぐ1mほどのところを走り抜けていくので安全ではありません。もし車のタイヤが小さな石を弾き飛ばしたら?もし不意に目眩を起こしたあなたがフラついたら?もしも交差点で事故が起こってコントロールを失った車が向かってきたら???
特に交差点は事故が多い場所なのは誰でも知っていますよね?
つい昨日もおざわやの店舗前の交差点で右折者と高速から降りてきた直進車がぶつかって、直進車はスピンしながら反対側の歩道のキワまで飛ばされていきました。もし歩行者がギリギリに立って待っていたら、巻き込まれていてもおかしくない事故でした。そんなとき「歩道だから安全なはず」とか「車道から出てくる方が悪い」なんて言ったって、怪我をしたり悪くしたら命を失うのはまずほとんど歩行者ですよね。事故に遭ってから「私は正しい」なんて言ってもなんの役にも立ちません。
それは間違いないと思うし、世界中に誇れることだとも思います。
でもだからと言って安全が「当たり前」なんて思うのは間違いではないでしょうか?「当たり前」の反対は「有り難い」だとよく言われます。そんな「有り難い」という言葉は仏教の「法句経」というお経から由来するという説があります。
「ひとの生をうくるはかたく、死すべきものの生命あるも、ありがたし」
「有り難う」という言葉は本来「命の貴重さや生きていることの尊さ」に対して、感動を自分自身の心に対して表わす言葉なんです。今ではそれが相手に対する感謝の言葉になってしまって、それがさらに「当たり前」となってしまうと心持ち自体が変わってしまいますよね。英語で「Thank You」なんて言うのは全然別の意味になってしまいます。
ではどうすればいいのか?
それにはお互いに相手のことを思い遣って、互いの安全を支え合うこと。
今回のコロナ禍だって同じで政府が全て守ってくれるのが当たり前だとか、ワクチンは100%効くのが当たり前とかそんな夢のような確実性を求めるような潔癖症はもうやめて、お互いさまで支え合うことが大切。それには自分の権利ばかりを主張し合うのではなく、互いの間に程よく距離を保って一歩下がって相手に譲り、お互いに「有り難し」と譲りあう関係性です。
そんな社会がいいなあと思うのです。
・花立ての穴が小さくて水がたくさん入らないし洗いにくい
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他にもとにかくお墓で困っているー!という方は、まずここからボクに連絡くださいね。
【店舗情報】
店舗住所:名古屋市名東区高針原2-101
電話番号 : 052-734-8102
営業日:月曜日~土曜日(日曜定休)
営業時間:朝9時から夕方5時まで
アクセス
地下鉄東山線の星ヶ丘駅から市バスの「地下鉄植田行き」もしくは「地下鉄いりなか行き」に乗っていただいて15分ほどの「高針原」で下りていただいて、名古屋高速の高架道路のほうへ3分ほど歩いたら右手に店舗が見えます。