おざわやの代表のブログです
2023.05.27
仏教では煩悩や執着を己の心から払うことを教えていますが、その元になっているものを自我(じが=エゴ)としています。そんな自我は親から貰った性的なものもありますが、生きてくる中で獲得してきたものがほとんど。例えばお腹が空いたからご飯を食べたい!というのは生理的な欲求ですが、どうせ食べるなら美味しいものがいいとか隣の人が自分より良いものを食べていると、もっともっと!と欲がどんどん出てきてしまう。こんなのが執着や煩悩と呼ばれるものです。
ですからお釈迦さまなど仏教を拓いてきた仏教僧たちは、鉢を手に歩く托鉢で得たものだけを口にしていたんだそうです。ですから時にはその中に肉が入っていたとしても、それは与えられたものだからと口にしたそうです。そこで「俺は修行してるんだから、こんなものは食べられません!」なんて断ってしまうと相手の「布施の心」を蔑ろにしてしまうし、例えそれが仏教のためであったとしても一つの執着になってしまう、という訳です。
ラオスの僧侶たちが托鉢に歩く様子
じゃあそんな自我なんて要らないかといえば、人間が生きていくためには必要不可欠なもの。
現代ならまず食べるには困らないとしても、より栄養価の高いものを摂っていくのは原始の人類にとっては命に関わる問題であり、より強い子孫を残そうとするのも生存本能からくる欲求でした。そして身体が小さく動物に襲われればひとたまりも無い人間は、いつも周囲の変化に気を配って何を避けてきたのもそう。そんなところから自我というのは悪い条件や悲観的な状況をより強く感じるようになっていて、ともすれば粗探しばかりをするのでネガティブになり易いものだそうです。
だから仏教の修行だってそんな自我=エゴを消し去ろうとするのではなく、自我を外から見るように俯瞰して「あるものとして認める」んだそうです。ヨガやマインドフルネスも元々は仏教の修行をもとにされている精神修養ですから、そんな悲観的な自我を「インナーチャイルド」などと呼んで認める点がそれに当たるものでしょうか。そうして自分の生来持っている魂と、その周りを守るために固められた自我が折り合うところを見つけられれば、周囲の状況だってより豊かに感じられるんじゃないでしょうか。
そしてそんな自分の頭の中にある自我のクセを知れば、これまでと同じ人生でもよりももっと生き易くなるかも知れませんね。ヨガももちろん良いですが、そんな風に自分自身と向き合う場所としてのお墓がもっと活かせるようなお参りはないだろうか?と考えてみたくなりました。
・花立ての穴が小さくて水がたくさん入らないし洗いにくい
・お墓を新しく建てたい方やもっと使い易いお墓を建て替えたい
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現場に出て留守にすることもありますので、お訪ねの前にはまず先に1本お電話をくださいね
【店舗情報】
店舗住所:名古屋市名東区高針原2-101
電話番号 : 052-734-8102
営業日:月曜日~土曜日(日曜定休)
営業時間:朝9時から夕方5時まで
アクセス
店舗の前に2台分の駐車スペースがあります
少し停めにくいですが、バックで駐車したほうがお帰りの際に出庫しやすいと思います
地下鉄東山線の星ヶ丘駅から市バスの「地下鉄植田」行きもしくは「地下鉄いりなか」行きに乗っていただいて15分ほどの「高針原」で下りていただいて、来た道の反対を向いて名古屋高速の高架道路のほうへ3分ほど歩いたら右手に店舗が見えます。
またはご予約いただければ駅までお迎えにあがりますので、遠慮なくご予約くださいね!