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おざわやの代表のブログです

輪廻転生は捉われなのか、救いなのかを掘り下げて考えてみた

2019.10.01

最近ツイッターやフェイスブック、そしてブログでもすっかりお墓やら納骨堂についての投稿しています。ここのところ気付けばそんなことばかり考えているし気になる。一般の方の宗教観というか死生感というか、そんなものが仏教とはかなり乖離してしまっている気がするんです。







そういう事言うと「だって無宗教だし」って答える人が多いかもしれませんね。でもボクは常日頃言ってるんですが、先進国の中で日本人ほど宗教観や倫理観を強く持っている国はそう無いって。それは仏教に限らず日本古来の神道だってそうだし、クリスマスも祝えばハロウィンに大騒ぎもする。つまり何でもOKウェルカムで、すべて取り入れちゃう。これを節操がないって言う人も居るけど、この【宗教に対する寛容さ】は他にないと思います。


そしてそんな寛容さが一番合う宗教こそが仏教だと思っています。それはひとえに仏教の開祖であるお釈迦さまの拓いてくれた教えのおかげだと思っています。







たとえばキリスト教でもイスラム教でもユダヤ教でも絶対神という考えがあって、それぞれ預言者(絶対神からのメッセージを受け取った人)の違いだけで互いに争ったり、競い合ったりという歴史がありますが、仏教には全くそれがない教えだからです。この道を拓いたお釈迦さま自身が自分を教祖と呼ばせたりせず、その教えに共感して帰依した弟子たちを「共に仏道を歩む仲間(サンガ)」と呼んだ事からも判るように、他の宗教や考えを卑下する事も比べる事もなかったから、これほどの寛容さで受け入れられるんだと思います。


ただ今の日本で広まる仏教の中には宗派(宗派ごとに開祖がある)があり、中には他との違いを前面に出す場合もあるようですが、それはお釈迦さまが拓いた教えの受け取り方の違いだと思うので、あくまでボクはお釈迦さまの教えを念頭に置くべきかなって。もちろん細かい作法やしきたりはそれぞれの宗派の教えに則るべきだとは思ってますけどね。




諸行無常って要するに「みんな一緒だよ違わないよ」ってこと

お釈迦さまがまだ出家する前、みずから想い悩んだのは「生きづらさ」。それは大まかに【生老病死】など含んだ八苦と言われていますが、でもそれは本来の原因ではなく心に現れた現象に過ぎない。本当の原因は自分の中にあって、それを正しく認識すれば苦しみから離れる事もできるというのが仏教の教えだと思います。あの人がこう言ったからとかこの人の性格は嫌いとかいう考えは、まず中心に私は違うという考えがあるから。仏教の基本的な考え方にある「輪廻転生」という考え方からすれば、今考えているというのはあくまで今世での私であり、この世を離れれば全く別の存在となってまた新たなになるだけ。「袖擦りあうも他生の縁」なんて言いますが、みんなどこかで逢っていたり縁があったり、もしかしたら家族だったかもしれない。誰もが長い時間を掛けて、いや時間という観念さえなく歩み続ける旅人。じゃあ何処に向かっているかといえば、その先頭を拓いてくれているのがお釈迦さま、といえば分かりやすいでしょうか。


ちなみに輪廻転生なんていうとオカルトチックに捉えられがちですが、2年前アメリカの大学教授が実際に前世記憶を持つ子供たちや量子論から、輪廻転生が実在することを証明したと発表しました。もちろん仏教的にお釈迦さまが説いた輪廻転生とは意味合いが違いこそすれ、科学的も解明されつつあるのが実際です。




輪廻転生を繰り返して修行を続けて悟りをめざす道こそが仏道

今世で生きている間に八正道などの修行を続けることでより高みに上っていこうとするのが仏道。それは一朝一夕どころか一生掛かっても何回やり直そうとも、遠く離れていてたどり着くことの出来ないのが悟りです。じゃあ辿りつけないなら頑張っても無駄じゃん?といえばそうではなくて、悟りに向けて歩き続ける事こそが仏道なんだから後をはなれず付いて来なさいよ、とずっと先頭を示してくれているのがお釈迦さまです。


輪廻転生を離れる(解脱:げだつ)ことが悟り。だとすると離れられない輪廻転生を繰り返すことは捉われかと言えば、それだけじゃなく救いでもあると言えると思います。致死率100%が人間の業(ごう・わざわい)だとすれば、それは「抜けられない捉われの輪」になりますが、今世が駄目でもやり直しは何度でも効くんだから!と思えば救いにもなります。要するに考え方次第ですよね。




お墓で執着を洗い流して、浄土(仏壇ATM)に向かって功徳を積む

そう考えればお墓で弔いつつ自然に還していく自分こそが今世の私ですよね。愛欲や執着にまみれた身体をこの世に残して、魂は仏さまの浄土に戻ります。そんな愛欲や執着を少しずつ解きほぐして、安らかに眠っていただくのがお墓や子孫の役目です。そうやって考えればお墓をキレイにするとなんだかスッキリする、という意味が繋がりませんか?


来世へ向った私に祈りたいなら浄土にむけて祈ればいい。ということはお寺の本堂でお参りすれば想いは届くのですが、なかなか敷居が高くてそうはお寺にも行けないですよね。だからその出張所、または判りやすく言えばATMのような仏壇がある訳です。仏壇に手を合わせるとか先祖に祈ることで、あの世に功徳を積み立ててると思えばまさにATMですよね。


そんな風に棚卸しをした10月1日。株式会社お墓のおざわやも新しい期に入って丸10周年となりました。まだ本当の意味での棚卸しは出来ていないので笑笑、これから頑張りますー!