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おざわやの代表のブログです

【諸行無常とヒトの心の驕りについて】

2021.08.17

それにしても今年のお盆からずっと雨で梅雨のよう。物心ついて50年そこそこですが、こんなお盆って記憶に無いね〜と話すことばかり。でもいつも通りが当たり前なんて思うのは自然に対する驕りなんだろうなあ、というブログ。



昨日の午後にお墓に行って、ご先祖の魂を送り火で送りつつお参り。

これでやっと小澤家としてのお盆が終わりましたが、それにしても昨日も雨だし、今日もまた雨。とにかく東京オリンピックの閉会式が終わってから降り始めた雨は、日本全国に降り続いています。そして降り続いているばかりじゃなく、日本のあちこちで地滑りなどによる被害が出ていますね。被害が出ている地域の皆さんのご無事と共に、より早い復旧をお祈りします。そしてすでに巻き込まれてしまった皆さんのご冥福を併せてお祈りいたします。







迎え火が雨で着かない!なんて記憶は今だかつてなくて、それでも何とか休憩所の軒を借りて送ることができて一安心。でも「これまでに無いから」なんて、自分たちの想いが如何に浅はかなのかを思い知らされたようなお盆でした。でもまだ過去形じゃなく、当分雨は続きそうなので被害の出るような地域も増えそう。



今回のコロナ禍だってこれまでも新型鳥インフルなどが現れるたび、これがヒトに憑ったら大変!なんて言われながらも、どこか「大丈夫じゃない?」なんて思っている自分がいました。それが中国から世界に広がり始めてもしばらくは日本には患者は現れなかったし、広がっても世界に比べて日本の感染者が少なかったりして緊急事態宣言で何とかなると思ってたところもあります。それがもうすぐ2年にもなろうかという今になって、ここまで感染者が増えたことで先の見通しもできない状態。せめてワクチンだけでも!と思ってもなかなか順番が回らなかったり、その信用性の薄さから打たないという判断だってある。


きっと皆んな「こんなハズじゃなかった」という想いだけは共通なんですけどね。




【ヒトは自分の周りだけは現状が続くと思いたい生き物】

先日見たネットニュースでは、岐阜県のとある川でバーベキューを楽しんだ人たちが川で食器を洗う映像が紹介されていました。もちろん全員というわけじゃ無いとは思いますが、洗剤をジャブジャブかけながら鍋などを洗う光景が写されていて、それがいかに自然に負荷をかける行為なのかが書かれていました。自然を楽しみに来ている人たちなのに、自ら自然を破壊する行為をなんとも思わない姿には驚きます。







きっと彼らだって自然を破壊しようとしてやっている訳じゃないと思います。

ただ知らないだけ、イヤもしかしたら薄々感じてはいても皆んなやってるし、くらいのつもりなのかも知れません。でもその美しい水や綺麗な景色は、川に生活用水が流れ込まないおかげだったり、生態系が守られているからこその美しさだという想像力が働かないことが問題。「自然なんてあって当たり前」ではなく、自分たちの命も含めて「有り難い」存在だということを考えて欲しいです。



また昨日も見ましたが、送り火をしに行った墓地には供えたあとの花や板塔婆を集める集積所がありますが、それが溢れかえって周りに溢れるほどでした。そこでは和尚さまがお精抜き(お祓いのようなもの)をしてからお焚き上げできるようになっていますが、これは平和公園事務所や保健所との話し合いの末で許可されています。ただその時にはもちろん燃やしてはいけないゴミなどを分別して行うことになっていて、脇に立てられた看板にはそれらのゴミを入れないよう書いてあります。







これは毎度というか年々酷くなるのですが、そんな中にお花を包んでいたビニールやお墓を拭いたタオルなど、さらに酷い場合には空き缶やビンなどまで入っています。そんな一箇所の集積所から出たゴミは70リットルのゴミ袋で6袋と、燃えないゴミが一袋。今回はそんな中に食べかけのお弁当や保冷剤もあり、お墓に何をしに来たのか?と悲しくなってしまいます。きっと皆さんは家庭ゴミの燃えるゴミ程度の認識しかないと思いますが、こうして積み上がったゴミを見てご先祖がどう感じるのか?ということまでは想像できなかったようですね。


このコロナ禍も長雨も、そして清流だけじゃなくこんな身近の環境さえ「きっと誰かが綺麗にしてくれるよ」と思うのでしょうか?




【お釈迦さまの教えにある「諸行無常」と「縁起」とは】

よく聞かれるであろう言葉に「諸行無常(しょぎょうむじょう)」と「縁起(えんぎ)」があります。

これはお釈迦さまが思い悩んだ末に悟りを開いた「仏道」の教えで、仏教の中心となる考え方です。諸行無常とはこの世の生きとし生けるもの、そしてこの世そのものがすべて移り変わりゆくものであると教えています。ヒトはいつも自分の周りだけは平和でいて変わって欲しくないと思いますが、それこそが驕りだと教えています。そして「縁起」とは全てのものは関わり合いのなかでしか存在できず、だからこそすべてはいつか消えゆくものだと教えています。つまりは身の回りのどこを見ても「当たり前」なものはなく、自分の命も含めて「有り難い」縁によっていただいている儚いものだよと伝えてくれています。


それからいえばこのコロナ禍だって何かの縁。この長雨だって何かに繋がる縁をいただいているかもしれない。全ての縁はどこかで繋がっているとしたら、清流に洗剤の泡を流そうなんて思わないだろうし、目の前に来た幸運も困難も、どちらも同じように受け入れられるんじゃないでしょうか。



泥の中にしか咲かないハスの花のようにありたい


自分の目の前の出来事をそのまま「仏縁」と受け止められるヒトでいること。

そんなことを感じたこのお盆も同じく仏道の途中で会った縁と、自分なりに味わいたいと思いました。





【もしお墓でこんな悩みがあればお気軽に当店へ ご相談ください】 

・花立ての穴が小さくて水がたくさん入らないし洗いにくい

・お墓を新しく建てたい方やもっと使い易く建て替えたい

・お墓を少しキレイにこざっぱりしたい

・お墓に名前を追加して彫りたい

・お墓が壊れていて直したい

・墓地に草がたくさん生えて困っている

・お墓の汚れが落ちなくてスッキリしない

 他にもとにかくお墓で困っているー!という方は、まずここからボクに連絡くださいね。

現場に出て留守にすることもありますので、当店をお訪ねの前にはまず1本お電話くださいね。



【店舗情報】

お墓のおざわや  

店舗住所:名古屋市名東区高針原2-101

電話番号 : 052-734-8102 

営業日:月曜日~土曜日(日曜定休)   

営業時間:朝9時から夕方5時まで





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少し止めずらいですがお使いくださいね







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地下鉄東山線の星ヶ丘駅から市バスの「地下鉄植田行き」もしくは「地下鉄いりなか行き」に乗っていただいて15分ほどの「高針原」で下りていただいて、名古屋高速の高架道路のほうへ3分ほど歩いたら右手に店舗が見えます。

とにかくまず始めにお電話でご予約くださいねー!