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おざわやの代表のブログです

お墓というのは借りていた身体を本人の代わりに家族が土に還す場所です。

2019.09.09

昨日は強くて小さく早い、というこれまで余り経験のない形の台風15号が静岡から千葉の方面を直撃して、首都圏の交通網がマヒしてしまったようですね。それだけじゃなくゴルフ練習場のネットが倒れるなどした被害もツイッター繋がりの皆さんなどから流れてきました。これだけ情報が流れていても、やはり予想を超えてしまったのでしょうか。

幸い名古屋はほとんど影響もなく、というかこの季節外れの暑さが影響ならば、まだ良い方だと思わなければですね。









そして今日はいつもよりも更に早起きして、朝活ネットワーク名古屋で「知れば知るほどおもしろいお墓の話」というお話しを60分間させていただきました。これまでは「お墓まいりってどうやるの?」という形で今年既に2回ほど90分間でお話させていただきましたが、今回は名古屋駅前で仕事前に来られる方がほとんどと言う場所柄、少し内容を緩く楽しんでいただけるようにお話ししました。









まあことがお墓なだけにそれほど興味を持っていただける方は多くなくて、本当に話を聞きたい人といつものレギュラーメンバーだけで少人数での朝活になったので、それなりにコンパクトで纏まりのある会になりました。

(って本当に自分人気ないなこのヤローチクショー!って自分的には泣きそうでしたけど笑)





お墓の本質って石の問題じゃないんです

あ、いや墓石の材質は当然ですよ笑

材質の話じゃなくて本質です。そもそも大事にしたいことは何かということです。今日もお話しした後の質疑応答などでそんなお話をさせていただきましたが、まずお墓って何をする場かと言えば「家族のご遺体(以降お骨と称します)を土に還す場所」だということです。地方や習慣によって納骨の方法が違ったりはしますが、元々明治時代までは土葬が主流だったことを考えれば、どこも基本の考え方には差がないはずで(差があるのは元々風葬していた沖縄地方だけです)、じゃあ墓石って何かと言えば「ここに入ってるよー」っていう目標とお骨が自然に還るまで守るための噐だってことは昨日のブログでも書きました。

この世に出る時にはご先祖からいただくDNAを基にして両親からいただいた身体で生まれ、この世から去る時には魂は仏さまのお浄土に帰る。それまで自然から借りていた身体は放って置くわけじゃなく、残った子孫が代わりに丁重に自然に還すというのが仏教の考えであり、自然に寄り添ってきた日本人の精神に最もシックリくる弔いだと思います。





大事なことは全ての人が迷いなく過ごせること

たまにお墓じまいの相談をいただく時にもまず最初に聞くのは「中に入っているお骨の移動先は決まっていますか?」ということなんですが、お墓と一緒にお骨も処分してもらえると思っている人が結構いらっしゃって驚きます。そんなことからどうやら皆さんの中には「お墓至上主義」というか、やはり「お墓=先祖という偶像」として捉えている方が多いのかなと。あくまで大事なのは「土に還ること」で墓石はただの器です。それで言えば家族としての形が残らないことに寂しさを感じないのであれば、樹木葬だろうが散骨だろうが構わないことになります。大事なことなんでもう一度書きますが、家族としての形が残らないことが寂しくなければね。

ボクはもう両親とも亡くなっちゃってお墓に入っているので、本当に寂しくなった時には兄弟に会うかお墓に行けばいいと思っているのですが、後継者で悩んでいるくらいのお家なら、それこそ後で何も残っていないのって寂しくないのかなって逆に心配になってしまいます。ただだからと言って手元供養だとか、ロッカーにずっと預けて置いておくっていうのはそもそもが違うというか、土に還してあげようよ!なんて思ってしまいますけどね。

ちなみに仏壇は浄土に帰った魂に対して祈るとか挨拶したりする場なんで、お墓とは全く役目が違うことも付け足しておきます。


ただもちろんそれぞれのおウチに事情があるだろうし、思うに任せない時もあるでしょう。そんな時にはお寺様によって様々な形の供養方もあるので、ぜひ相談してください。ただ考え方の基本は「子孫が迷わないこと」です。先祖を見守っているつもりが、先祖に見守られてることに気づける場所がお墓だと思っていますので、そんなスタンスからアドバイスが欲しい方は是非おざわやへどうぞ。