おざわやの代表のブログです
2023.02.18
きっとこういうブログは人気がないんだろうなあと思いながらも、人気取ろうとするばかりがブログじゃないですよね。自分のブログなんだから書きたいことを書けばいいよね(笑)ってことで、今日のお題はキリスト教と仏教です。
先日、中日新聞のコラムで信仰について書かれたものを目にしました。それはキリスト教の教えの中の言葉について捉え方を書いたもので、ちょうど今までボクが感じていた違和感について書かれたものでした。
前から思っていたのは、キリストの教えっていつも断定ありきで命令形だよねってこと。
仏教の教えは基本的にお経がベースなので、それをどう読み解くかで変わってしまう恐れがあるということは聞いたことがありました。でもあまりに「来なさい」「求めよ」「改めよ!」などと断定的だと、その教えには従うしかなく、何も学ぶものはない様に感じていました。もちろん日本語訳をするときに敢えて命令形にしたのかもしれないけど、仏教的な教えの優しさと比較するとどうにも違和感しかありませんでした。でもこの記事を読んで「命令には祝福や約束を伴っている」ということ。そしてそれは決して抑え付けではなく「招きである」と置き換わったとき、何となく腑に落ちて違和感が少しだけ消えたように感じました。
それに対する仏教は「生きる」ということの真理を覚ったお釈迦さまが、自然やこの世のことわりを説いてくれたのがその教えの元。言ってみれば仏教は自然の営みをそのままに受け容れるというのが基本であり、その受け取り方を正しく整えるための教えのように感じます。そして仏教は他の宗教にも寛容で、他の誰かがどうであろうと関係なく自らを律する「有り様」を説いているようです。やはりキリスト教は「迷える子羊を救う」のが神様であり、相手の状態に合わせて(信じて)「覚りの道を指し示して導く」のが仏教なんだと感じます。
お墓でいえば、まずキリスト教と特に日本の仏教では大きな違いがあります。
それはキリスト教がほぼ土葬にされるため個人のお墓だということで、仏教は基本的に火葬が基本。そして日本では家族ごとの墓地というのが基本ですが、キリスト教では家族でもお墓の場所はバラバラなのがほとんど。お墓の形も火葬のお骨を後からどんどん納められる器のような日本と、あとで追加する必要がないから名前を彫った標の石を置くだけのキリスト教とは構造も大きく違います。
そして何より家族がお墓で先祖のお骨を護り清めていく日本に対して、魂の抜けた身体はそのまま「ただのチリと同じ」というのがキリスト教。そんなことから直接血を分けた家族なら気が向いたらお参りに行くかも知れない程度なキリスト教に対して、日本ではおじいちゃんおばあちゃんだけじゃなく先祖代々を護り、自らも守られている意識を持ってる点でも違いますね。
家族で入るにはお骨を納める体積が圧倒的に足りません
たまに「外人墓地みたいなかっこいいお墓が良い!」なんて相談を受けることがありますが、そもそも目的も構造も違えば教義さえ違う日本の仏教には、そのままで取り入れることは難しいデザインだと言えます。そんな形状的な違いと共に、日本のように家族で楽しむようにお墓参りするなんて習慣は、キリスト教墓地には全くそぐわないとも思えます。
もちろん当店でも洋型風味なデザインの墓石はありますが、そういったお参りの仕方の違いに準じて、日本の仏教にも合うデザインをきちんと取り入れていますのでご安心くださいね。
・花立ての穴が小さくて水がたくさん入らないし洗いにくい
・お墓を新しく建てたい方やもっと使い易いお墓を建て替えたい
・お墓周りを使いやすくサッパリと綺麗にしたい
・お墓に名前を追加して彫りたい
・お墓が壊れているところが気になっている
・墓地にいつも雑草がたくさん生えて困っている
・お墓の汚れが落ちなくて何だかスッキリしない
・跡継ぎのないお墓をリフォームで続けて使えるようにしたい
などなど、他にもとにかくお墓のお困りごとや悩みがあるという方はまずここから連絡ください
現場に出て留守にすることもありますのでお訪ねの前にはまず1本お電話ください
【店舗情報】
店舗住所:名古屋市名東区高針原2-101
電話番号 : 052-734-8102
営業日:月曜日~土曜日(日曜定休)
営業時間:朝9時から夕方5時まで
アクセス
店舗の前に2台分の駐車スペースがあります
少し停めにくいですが、バックで駐車したほうがお帰りの際に出庫しやすいと思います
地下鉄東山線の星ヶ丘駅から市バスの「地下鉄植田」行きもしくは「地下鉄いりなか」行きに乗っていただいて15分ほどの「高針原」で下りていただいて、来た道の反対を向いて名古屋高速の高架道路のほうへ3分ほど歩いたら右手に店舗が見えます。
またはご予約いただければ駅までお迎えにあがりますので、遠慮なくご予約くださいね!